今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

老いたライオン 〜一生懸命人を受け入れた人は、最後自分を受け入れられる〜

(写真:キツネザル)

■老いたライオン

動物園で、近寄って見るライオンはたいへんな迫力です。
大きな身体、大きな顔、そして大きな口に、そこから突き出た鋭い牙。人間の頭など一噛みで砕けそうです。
その下には筋肉の盛り上がったたくましい腕と、他の動物を簡単に引き裂けるナイフのような爪があります。
この猛獣にサバンナで襲われたら一たまりもありません。まさに、百獣の王の威厳があります。
アフリカで食物連鎖の頂点にいるライオンには怖いものはないでしょう。実際、テレビのドキュメンタリーでは他の動物を狩っている姿しか登場しません。
しかし、そのライオンにして天寿を全うできるのは、2割に満たないのだとか。いや、本当はもっと少ないのかも知れません。
なぜなら、弱肉強食のサバンナでは百獣の王といえど、その掟からは逃れられないからです。
年老いて、力や敏捷さが衰えれば、他の肉食動物の餌食になるでしょう。そもそも野生動物に天寿という言葉が当てはまるかすら疑問です。

■辣腕で鳴らした人も

「辣腕で鳴らした人も養老院」
昔、コクーンと言う映画がありました。
その登場人物の一人に繊維業界で成功を収め、今は引退して養老院暮らしをする老人がいました。
養老院では、毎日ボケ防止に繕いの仕事をさせられています。現役のころは、繊維業界で名を馳せた老人も、今は糸を針に満足に通す事が出来ず、職員の女性に散々馬鹿にされています。そして、それが非常に腹が立つので、同じ養老院の仲間と文句を言いあっています。
本当に老いには勝てないものです。
若い頃は、人の追随を許さない程の力を発揮し、肩で風切って生きていた辣腕の人も、人の世話にならねば生きていけなくなり、施設に入所すれば世話のかかる老人として扱われるのです。
今、世界を先導したり、あるいは輝かしい記録を打ち立てているあの人もこの人もいずれ、そんな現実と向き合わねばなりません。
その姿は、百獣のライオン王が老いに負けて、自分より身体の小さな動物の餌食になる姿に似ていませんか。

■老いを受けいれられる人、受け入られない人

老いは、私たちにとって避けられない未来であり、どんなに優秀で優れた人もいずれは向き合わねばならない現実です。
できたことができなくなる、勝てた人に勝てなくなる。そして、馬鹿にしていた相手に馬鹿にされる。
親が若い頃は、躾と称して、時には手を上げて子供を厳しく育てる。
それが、年がいって身体の自由がきかなくなると、動きが遅いといっては子供から叩かれ、粗相をしたと言っては殴られる。
それは、自分が子供とそのような関係しか築いて来なかった報いでしょう。
とかく人間は勢いがあり、周りに力を誇示できている間は、彼らのことに思いが至らないものです。そして、自分のペースに周りを合わさせようとする。さながら、百獣の王ライオンがアフリカのサバンナで傍若無人に振る舞うことができるようなものです。
しかし、人間はいつか老います。衰えて、周りに支えて貰ったり、そのため周りに合わせなければならないことになります。
そうした時、周りに気を使ったり、同調したり、あるいは助けて貰っている自分を受け入れられるか否か。
それは、老いてなお元気に明るく生きられるか、それとも自分に失望して暗く沈むかの違いだと言います。
つまり、老いを受け入れられるか、受け入れられないかの差となるのです。

■一生懸命人を受け入れた人は、最後自分を受け入れられる

なぜ、人間は自分が老いることを忘れてしままうのでしょう。
こんな話があります。
昔、インドのある国に男は60になったら、敷物を敷いて家の門番をしなければならないという悪法がありました。
その60になった男性には、2人の息子がいました。自分一人で大人になったように思っている兄は、早速弟に、父親に敷物を与えて玄関に座らせるよう命じました。
孝行な弟は忍びない気持ちで一杯でしたが、兄の言いつけなので仕方なく物置にあった敷物を半分に裂いて父親に与えました。
そして、涙ながらに「お父さん、申し訳ありません。お兄さんの命令なので今日から門番になっていただかなくてはなりません。」と言いました。
それを見ていた兄にはどうも弟のすることが腑に落ちませんでした。
「おい、なぜ敷物を半分に裂くのだ。全部与えれば良いではないか。」
「兄さん、家には敷物は一枚しかないのです。全部使ってしまったら、次に要り用になった時困るじゃありませんか。」
「何!また要るときがあるのか?」
「それは兄さんが60になった時です。兄さんは何時までも若いわけではないのです。60になれば、今度は兄さんの子供から門番にさせられるのですよ。」
「ああ、そうか、俺は人のことばかり考えていて、自分が年を取ることを忘れていた。」
愕然として、己の非道に気がついた兄は、きっぱりと翻心して、弟とともに悪法打破に立ち上がったと言います。
・・・
都合の悪いのは皆んな他人事、そして自分のことは全て都合よく考える。だから、自分も見えず、人も見えなくなります。
そして、人の痛みに鈍感になり、人を受け入れられなくなるのです。
しかし、いずれは自分も、その痛みを我が身に感ぜずにおれなくなります。
だから、今から人の痛みを一生懸命受け入れるのです。それは、いつか自分自身の痛みも受け入れることができるように。