今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

感謝力

(写真:夕陽の牧場 その3)

■堪忍土

私たちの生きている世界を「娑婆」と言います。
よくドラマで、刑務者から出てきたばかりの元受刑者が「やっぱり娑婆のメシは美味い」と会話していますが、娑婆本来の意味は刑務所の中も含めて、人間世界全体を指します。
「娑婆」とは、昔のインドの言葉を音表したもので、日本語に直すと「堪忍土」となります。
「堪忍」つまり、堪え忍ぶ。
人間社会は思うにまかせぬことが多く、我を通したいと思うとすぐに周りから叩かれます。むしろ、人の我につきあって自分から折れることばかりです。
例えば、車の渋滞にしろ、朝の通勤電車の混雑にしろ、会社での人間関係にしろ、お互いが少なからず我慢しているからこそ、人間社会は崩壊せずに成り立っているのです。
このように、お互い堪忍して生きなさいよと言われる世界だから、「堪忍土」なのです。

■難しい堪忍

人間、堪忍が大切。
ある時、和尚が小僧さんに言いました。
「人間堪忍の二字が寛容じゃ。」
「和尚様、『かんにん』では四文字ではありませんか?」
小僧の切り返しに多少ムッとしながらも、和尚、ここは大人の対応が大切と、
「やはり、お前は子供じゃな。よいかな。『こらえしのぶ』と書いて二文字なのじゃ。」
しかし、やっぱり小僧さんは分からない。
「和尚様、『こらえしのぶ』なら六文字ではありませんか?」
これで和尚はついに堪忍袋の緒が切れて、
「分からん奴じゃ!」と小僧さんをポカポカ殴りつけたとか。
そして、それを見ていた人が、
『堪忍の 二字か四字かは知らねども
堪え忍ぞまことなりけり』
と笑ったと言います。
人には「堪忍が肝要」と教えておきながら、いざ腹が立つとそんなことは全て吹き飛んで癇癪が出る。私たち自身もよく経験していることです。
日頃は「堪忍が大切」「堪忍しよう」と思っていますが、気の許せる相手、あるいは立場的に弱い相手の前では、ついつい感情に負けてしまいます。
まことに、堪忍は難しいことです。

■出来ていると思うは自惚れ

何故、私たちにとって堪忍が難しいのか。
それは、「堪忍できる自分」、あるいは「堪忍してやっている」と自惚れているからではないでしょうか。
昔、讃岐に庄松と言う仏法熱心な人がいました。
当時有名だった社会運動家が讃岐を遊説していた時、あちこちでよく庄松の名前を耳にしました。そこで、方や日本中で名前の知られた社会運動家が、方や讃岐の片田舎のお同行を「どんな奴か、顔を見てやろう」くらいの気持ちで訪ねたのです。
取り巻きに囲まれた社会運動家は第一声、
「あなたは尊い人ですね。人間堪忍が肝要ですよ。」
それに対して庄松の切り返しは、
「そうですか。私は堪忍されて生きているのですよ。」
そして、それに対して社会運動家は何も返せなかったと言います。
少し禅問答のようですが、これはどのようなやり取りだったのでしょうか。

■感謝力

庄松は知恵遅れで、お金が10文まで数えられなかったので、周りからは「八文、八文」と馬鹿にされていました。しかし、仏法に関してはたいへんな知恵を発揮し、法然上人の再来とまで言われた人です。
でも、見た目は冴えない田舎オヤジで、あまり賢そうに見えません。
それで、有名な庄松を「あなたは尊い人ですね」と一応は立てながら、ついつい物を教える気分で、「人間堪忍が肝要ですよ」と声をかけたのでしょう。
「あなたは人より知恵がなくてつまらん人生でしょうが、どうか頑張って生きてください。思うに任せなくても、そこは堪忍ですよ。」
言ってみれば、社会運動家からの庄松に対するねぎらいの言葉だったのです。
それに対する庄松の答えは、「そうですか。私は堪忍されて生きているのですよ。」でした。
堪忍するなどとんでもない。私のようなものは、周りに堪忍されてやっとやっと生きていけるのです。そこを感謝しているのですよ。
・・・
庄松に言わせれば、堪忍していると言うのは自惚れです。
人のことを我慢している以上に、みんな私のことを我慢してくれているのです。それで、やっとやっと生きて行けます。
みんなが本心を露わにして、私に対する不満を鳴らし始めたらとても生きてはいけません。それは、ネットで炎上した人のことを見ればよくわかります。みんな言わないだけで、本心はそんなことを思っていたんだと空恐ろしくなります。
堪忍してやっているのでない。
堪忍されているのです。
親に堪忍されているから、私のような不孝な息子でもいろいろと助けて貰える。
子供に堪忍されているから、こんな不出来なオヤジでも、父の日にはプレゼントを貰え
る。
会社に堪忍されているから、まだ仕事を割り当てられて、給料が貰える。
決して当たり前ではありません。
でも・・・
少し、自虐的ではないかって?
そうかも知れません。
しかし、当たり前と自惚れにはキリがありません。気がつけば自分の心にモンスターを育てて、それに蝕まれているのです。
これを抑制するには、本当は堪忍されている自分をよく見ること、そして堪忍されていることを感謝することです。
「かんしゃくの
くの字を捨てて
ただ感謝」
そんな感謝力を身につけたいものです。