今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

頷く

(写真:大垣上空 その3)

■愛の反対

「愛の反対は憎しみではありません。無関心です。」
諸説ありますが、マザーテレサの言葉と言われています。
気になる相手だからこそ、愛憎違順します。
自分に順うものには、深く愛情を注ぐことができます。反対に、愛しているからこそ、自分と違し、逆らうものには憎さが倍加します。
骨肉相はむと言いますが、近しい間柄ほど争いは凄惨を極めます。それは、愛し、関心のある相手だからで、時には殺し合いに発展することもあります。
しかし、もし縁もゆかりもない人なら、愛情どころか、憎しみも起きません。
例えば、遠い異国で、悲惨な内戦か起きていても、それで殺された人を心底可哀想に思ったり、また殺した軍隊を憎く思う心は薄いでしょう。
それは、日常と隔絶された場所だから、想像が及ばないのと同時に関心が湧かないからです。
そこから、世界に対して「世界の一部で起きていることを他人事だからと目を背けないでください」と呼びかけられます。そして、その言葉が「愛の反対は憎しみではありません。無関心です」なのです。

■無関心の壁

私たちの心は憎しみより、無関心で深く傷つきます。
前に、「独居老人より、三世代同居の方が、お年寄りの自殺率が高い」と言う記事がありました。
今老人の孤独死が社会問題になっています。
核家族がすっかりライフスタイルとなり、息子夫婦と一緒に暮らさない高齢者の方がむしろ普通です。しかし、高齢者は、単身の生活にリスクが多く、少し風邪をひいたり、転倒したり、あるいは風呂場で倒れたり、日常何でもないことが死につながります。
だから、見守り支援が、行政でも民間でもさかんに言われるようになりました。
この独居老人は、人生の終わりの悲惨な終着点、また、三世帯同居は大団円の人生の象徴と思われています。
しかし、現実は、三世帯同居老人の方が自殺率が高いと言います。
それは、人がいない孤独感よりも、人が目の前にいて感じる孤独感の方が遥かに深刻だからでしょう。
人が目の前にいるのに感じる孤独感、それは相手の無反応、無関心です。
人生の終盤に、唯一たよりにしていた家族から、さも自分がいないように扱われたら、どんなに傷つくでしょうか。
もう、若い頃のように動けなければ、何も楽しむことはできません。なのに、唯一たよりの家族との間に無関心の壁が立ちはだかっているのです。

■心の交流

高齢者だけではありません。
自分自身で考えてみても分かります。
職場の同僚で、心底苦手と思うのはどんな人でしょうか。
声をかけても、報告をしても、ただまっすぐにパソコンのディスプレイに向かっている。
一応声はかけられたから、「ああ」とか「うん」は言いますが、それ以上の反応がない。
本当に伝わっているのか。
後から「そんなこと聞いていない」と怒り出すんじゃないかと心配になります。
それよりも、自分などいないかのように扱われたことに深く傷つくでしょう。
ですから、人に声をかけられたら、必ず向き直り、また目を見て話す。
そして、必ず頷いて話を聞く。
大切だと思います。
そうしないと、心が交流しないのです。
「ちょっと、今は都合悪いねえ。後にしてくれる。」
そう相手に伝えねばならない時でも、向き直り目を見る。心の流れを途絶えさせない。
そんな人が好きな人ですし、そうでない人は苦手な相手です。

■共感に包まれたい

人間は居場所を探す動物です。
「私は、ここにいても良いのか、いけないのか」
人の何気ない仕草や、言葉から、そこを敏感に感じ取り、気にしたり、傷ついたりします。
よく女子たちが、仲間うちでの位置関係をひどく気にすると聞いたことがあります。
男からすれば、「そんなもんかな」くらいの感覚ですが、その男にしても、上司や部下からの何気ない一言で浮いたり、沈んだり、落ち着かない気持ちに汲々とはしていないでしょうか。
子供もそうですね。
親のちょっとした仕草や、一言でいつも自分と親との距離感を測っています。
年の近い弟や妹が生まれた途端、急に自分に注がれていた愛情がそちらに振り向けられ、自己肯定感が下がってしまう。私も含めて、長男長女なら経験している兄弟姉妹に対するコンプレックスや、いわれのない憎しみの元になっています。
このように、この世の苦しみの多くは無関心から生み出されています。
いや、周りは誰も無関心とか、無視しているとは思っていませんが、そう感じられるような言動をしていないかは反省すべきことです。
たとえ、キチンと答えを出しているつもりでも、一言で言い放ち、そこに心の交流がなければ、相手は無関心の壁を感じ、苦しみます。
むしろ、答えは出さなくても良いかも知れません。
「無関心でないよ、心を交流しましょう。」
そして、相手の言葉を聞いて、頷く。
それだけで、どんなに相手に幸せと安心感を与えられるだろうかと思います。