今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

小説の立ち上がり

(写真:ダイコン兄弟)

■小説の立ち上がり

小説の読み手にとって、読み始めは一番エネルギーが必要です。そして、なかなかページが進まず、ついつい本を置きたくなるのもこの時期です。
それは、登場人物の相関関係や、置かれている状況を一気に把握しなければならないからです。短時間に、多くの情報を処理しなければならないので、読みづらく、またしんどく感じるのだと思います。
もちろん、登場人物の紹介が巻頭に記載された本もありますが、小説の世界観に入り込まないうちは、単なる文字の羅列に過ぎず、それが頭に残ることはありません。
しかし、読み進めるうちに、だんだんと作品の世界観に入り込んでいき、主人公にも感情移入できていきます。
そうすると、続きが気になりページをめくる手が止まらなくなるでしょう。

■だんだん動き出す登場人物

これは、書き手側にも原因があるかも知れません。
一概には言えないでしょうが、多くの作品で、物語の立ち上がりと、中盤では明らかに登場人物の動きが違います。
グッとくる台詞を口にしたり、溢れる感情に気持ちを揺さぶられたり、しかし序盤からそのようなことは普通ありません。
それはストーリーの構成上、盛り上がりを中盤以降に持ってくるのが定石ですし、また立ち上がりは、登場人物の世界観を共有して貰う為の描写に筆のパワーを取られるからでしょう。
それと、登場人物を実際に筆に乗せて動かし始めると、彼の方で勝手に動き始めます。
もちろん、プロの小説家なので、しっかり設定を固め、キャラクターの性格まで把握して執筆を始めるでしょう。しかし、よく聞くのは、登場人物がどんどん動きだして、作家がそれに引きずられる状況になっていくのだとか。まるで犬を引いて散歩をしようと思っていたら、犬がはしゃいで飼い主を引きずり回しているような感じです。

■勝手にストーリーを紡ぎだす

筆が進めば、登場人物の方で自分に相応しいシチュエーションや、言葉使い、振る舞いを要求してきます。「私は、そんなキャラじゃないわよ」とか。
また、作者が思いもよらない振る舞いをし始めることもあります。本当はストーリーの落とし所を考えて筆を進めていたのに、勝手にキャラクターが喋り始める。
例えば、主人公が自説を大衆の前でとうとうと語りかける。寸劇なら、それで皆んなほろっとときて一件落着でしょうが、筆はそのようには進まない。そこで作りだされた場の雰囲気がそれを許さないのです。
だから、むしろ小説の大衆は散々小馬鹿にしたり、嘲ったりと、主人公がボロボロにされます。
そして、それは作者にとっては面倒臭いことです。なぜなら、普通これでオチがついて終幕となるところ、さらに主人公に一働きさせる必要が出るのですから。
自ら主人公を窮地に追い込んだら、作家はさらにアイディアを絞って、彼にその壁を破らせなくてはなりません。さすがに、そこまで小説の登場人物は考えてくれません。
しかし、それが小説と言う大きな虚構に臨場感を生むのです。

■賑やかな世界

さて、結論を引っ張ってしまいましたが、筆が進んで登場人物が動き出してこそ、私たちは感情移入できると言えます。
つまり、小説の立ち上がりでは、作者にとって登場人物はまだ想像上の人物であり、初対面の人です。その段階は、読み手にもそれが伝わるので、感情移入もしづらければ、世界観にも入り込みづらいのでしょう。結果、立ち上がりは読みづらく感じるのだと思います。
しかし、いろいろなシチュエーションを描き込むにつれ、作者自身が感情移入できて、彼の気持ちが分かるようになります。そして、登場人物に命が吹き込まれるのです。
そうしたら、読者も登場人物たちと一緒になって泣いたり、笑ったり、最後心地よい読後感となります。
このように、この小説家と言う仕事は、頭も気持ちも全力で使わなけれればならない大変な仕事です。作家が、思い入れの強い大作を書き上げた後、身体が衰弱することもあるそうですが、分かる気がします。
ですが、しんどいながら、心の中は自分の創造した登場人物が、現に生きて語りかけ、動いているのです。実に賑やかで、楽しい世界ではないでしょうか。
もちろん、趣味程度で創作を楽しむ素人小説家だから言える戯言かも知れませんが。