今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

怖れ、不安

(写真:遊具@サンセット)

■例えば、100人の前でのプレゼン

急にプレゼンを頼まれた。
一度経験は積みたかったし、少人数の勉強会なら、割と慣れている方。
そこで、エイや!で快諾。
そして、準備を進めている時、参加予定者について教えて貰えた。
「当日は、何名くらい来られるのですか?」
「だいたい170名くらいです。」
「170名?」
思わず聞き直した。
せいぜい10名くらい相手のプレゼンしか経験していないのに、170名は飛びすぎだろう。
だが、まだ一週間以上時間はある。その間、頑張れば、なんとかなるだろう。
根拠なき自信に後押しされて、期待半分、ドキドキ半分で一週間は経っていった。

■怖れ、不安は、失敗のイメージから

だが、さすがに当日会場を下見に行った時から余裕の表情は消えた。
結構縦長の会場で、そこに人がギッシリ詰まるのだそうだ。
多くの人を目の前にすると、そこにたいへんな圧迫感が生まれる。それに負けないように、平常時の頭の回転を保つのは並大抵でない。
高校の頃、部活の紹介のため、新入生を前に壇上で喋らされた。出番までは、あれを喋ろうか、これを喋ろうか、いろいろ頭の中でこねくり回していたが、いざ何百人を目の前にすると完全に頭の中が飛んだ。頭が真っ白になるとは、このことか、それを初めて体験した。
それで、部活紹介は散々、新入部員が来なくて、随分みんなから恨まれた。
だから、人前で頭が真っ白になる怖さは人一倍知っている。
まして今回は、業務の忙しい中を縫って集まってくださったそれなりの立場の皆さんだ。もし、頭が真っ白になってロクなプレゼンができなければ、それだけの時間を無駄にさせて申し訳のないことになる。
昔の失敗のイメージが今でも付きまとっている。

■怖れ、不安は成功の期待の裏返し

失敗したらどうしよう。
その怖れは、成功への期待の裏返しとも聞く。
上手くやろう、成功したい、そう願うからこそ、失敗を恐れる。
確かに、失敗しても構わないと開き直ってしまえれば、その失敗自体の怖れもなくなる。
だからか、周りは「最初だし、上手くいかなくても当然。まず、結果はどうあれ挑戦した実績が大事だよ」と励ましてくれる。
だからと言って、「はい、左様ですか」と言う簡単なものではない。
だから、始まるまでの時間、できるだけ緊張しないよう予防策を張ることにした。
まず、実際に壇上に立って、マイクで発声してみる。マイクを通した時の自分の声の違和感で、すっかり調子が狂うことが多いからだ。
そして、音の反響を確かめながら、実際原稿を読んでみる。
いけそうかな、いや硬いな。
事前練習が足らないな。でも、今更遅いし、後は野となれ山となれだ。
一旦は、そう気持ちを落ち着かせはしたが、時間が迫るにつれ緊張感が高まってくる。
あと、30分で自分はあそこに立たねばならない。

■怖れ、不安と勇気

だが、幸いだったのは、前の講演者も緊張気味で、とつとつと詰まりながら務めてくれたこと。
おかげで、こちらも良い具合に力が抜けた。
正直、100点中55点くらいだったけど、まあ消したい過去にはカウントせずに済んだ。主催者からも、それなりの評価も貰えたし。
そして、恥もかいたけど挑戦して良かったと思う。経験を積めたし、また同じ機会があれば、きっともっと上手くやれる。

我々が生きていく時に、不安や怖れは避けて通れない。そして、それは今まで経験して来なかったことに感じる未知への恐怖である。
しかし、未知と言うことは、もしかしたら、先の未来は明るいかもしれない。それを信じているから挑戦もできる。
怖れ、不安、それは、同時に上手くいく可能性も感じていると言うこと。
上手に付き合っていきたいものである。