今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

クレーバーとクレイジー

(写真:富士市通過中 その1)

■人それぞれと言うけれど

人は人、自分は自分と言うけれど、やはり優秀な人を見ると心がざわつく。
ついつい自分と比べてしまう。
あの人は、誰に対しても、いつもソツのない返事ができている。対して自分は、都度考えの浅さや、段取りの悪さを指摘されている。
恥ずかしいと言うか、情けないと言うか、流石にこの年になれば、ダメなところの矯正にも疲れる。自分は自分で得手な属性で頑張ればいいじゃないかと励ますが、なかなか世の中、都合よく自分に合わせてはくれない。
人に迷惑をかけながら、冷や汗かいて、ぶつかりぶつかり進んでいるのである。

■クレーバーになれなくて

ソツのない人。
クレーバー(賢い人)と言われる。
仕事の段取りが素晴らしい。
もう2手も3手も先を読んでいる。
こちらが思いも寄らない手を打ってくる。
自分は、目の前に現れる事象の対応だけで手一杯なのに、どうしてそこまで気が回るのだろう。
そもそも頭の構造が違う。
広く浅く、しかしポイントだけを適確に捉える目を持っている。そして、全体を俯瞰して、仕事を手早く、スマートにこなしていく。
そんな人と自分を比べると、自分はクレーバーにはなれないと身につまされる。

■せめてクレイジー

まだ、マニュアル車が多かった頃、クレーバーな人と、自分の属性を比較したことがある。
すなわち、クレーバーな人とは、マニュアルのハイトップで生きている人。
条件の良いハイウェイのような場所で最高のパフォーマンスを発揮する。
ただ、悪路は苦手だから、そちらにハマりこまないように、慎重に慎重に道を選別する。
それが功を奏して、いつも高いパフォーマンスを保てるし、スマートさを欠かない。
対して、自分はローギアの人間。
悪路に強いが、ハイウェイを与えられても高いパフォーマンスを出せない。
しかし、今は効率化、マニュアル化の時代。悪路を避け、ハイウェイを探し、さらに最も燃費効率の良い走り方をすることが求められる。
対して、ローギアしか持たない自分は、効率の良い走りを求められても、やはり自分のギアでしか走れずに苦しむ。そして、スイスイと走り去っていく周りの車が羨ましい。
ならば、ローギアにはローギアの生き方しか出来ぬと開き直るしかない。
クレーバーになれないなら、せめてクレイジーと言われる生き方もある。

■身にあった生き方

クレイジー、いやネガティヴなイメージではない。
クレーバーな人が行きたくても行けない道を行く。それは自分の差別化戦略。
ローギアが悪路に強いのなら、敢えてそこを行く。この道なら、燃費効率は二の次である。
ハイトップでは走れない。たちまちエンストしてしまう。
思いっきりギアを落として、吹かしまくって初めて、なんとかかんとか進める。
周りは言うかも知れない。
なんで、そんな不器用で非効率な道を行くのか?、と。
そんな苦労しなくても、こっちに来いよ。
ホラ、スイスイだろ?
しかし、そっちの道では、あなた方ハイトップでクレーバーな方々には敵わない。
だから、自分は敢えて悪路に突っ込んでいく。
そして、そんな自分を指して、周りは「オー、クレイジー」と言うかも知れない。
しかし、それでも構わない。
スイスイ走っている人たちの真似をして、一時は身に楽を覚えるが、しかし、周回遅れを続けていては、身体は楽でも心が持たない。
クレイジーこそ、我が不器用にして、身にあった生き方。
そして、クレイジーと言われてこそ、自分が自分でいることができる。