今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

鯉二匹

(写真:京都市茶屋町 その2)

■鯉二匹

豊臣家の重鎮、前田利家。
存命中は、徳川家康ですら一目置いていた人物である。
その前田利家の元に、福島正則から鯉が二匹贈られてきた。
さっそく利家は、家臣に鯉の礼状をしたためるよう命じた。しかし、礼状を検分した利家は、家臣を厳しく叱責した。
「なんだ、これは!全く心がこもっておらんではないか。」

■前田利家の叱咤

家臣の礼状には、
「鯉二匹到来せしむ。満足す。」
とだけ書かれていたと言う。
これでは、物品の受け渡しに使う、単なる事後報告である。
「満足す」とはあっても、鯉を受け取って嬉しかったとか、有り難かったとか、利家の心が伝わってこない。
前田利家は、福島正則より23歳も年上である。また、豊臣家臣団での武将の格も、利家と福島正則ではかなり差があった。
今日なら、大企業の専務と課長くらいであろうか。
だから、家臣は前田家の格を慮って、目下の福島正則にあえてぞんざいな礼状を書いたのかも知れない。
しかし、利家はその家臣の心得違いを厳しく正している。

■目下への気遣い

「目下のものに礼状を書く時は、かえって心を込めて、お心遣いかたじけないとか、一言添えるものだ。目下のものだからと、見下したような態度を取ることは愚か者のすることである。」
確かに、立場が下の人には、ついついぞんざいな態度を取りがちである。
人間はどうしても、上や横は見ても、下に対する意識は希薄になる。また自分が忙しいと、ついつい雑な対応もする。
当然、下の人もそんな気分は心得ているから、多少のことは仕方ないと腹に納める。
しかし、そこで丁寧な対応をされたらどうだろうか。
ぞんざいな扱いも致し方なしと思っていたところに、丁寧な対応をして貰えると、何倍も感激するのではないか。
そんな人情の機微に通じている前田利家は、さすがである。

■威徳と威圧の違い

少し前は先輩後輩の序列が厳しかった。
昔の丁稚奉公も、先に奉公した方が兄丁稚、後から奉公した方が弟丁稚と言われ、兄から弟への扱いは酷かった。だから、学校の卒業式を終えたその足で、汽車に乗って奉公先に向かったと言う。
その気分が残っている所為か、30年近く前に入社した時も、一年先輩との序列は厳しかった。
それで、「ようし、俺が先輩になったら、さぞや威張ってやろう」と決めていたら、その頃から世の中の流れが少し変わってきた。
入社時期での序列が崩れ、後輩にも等しく丁寧に接するように言われた。
良い時代になったと思うが、ある意味我々は怒られ損の世代である。
だが、よく考えると、上下の序列ほど人間の都合で決まっているものはなかろう。
前のNHKの大河ドラマの「江」で、供も連れず奔放に走り回る江を、父親の柴田勝家が厳しく叱責するシーンがある。
「もし、そなたの身に何かあれば、供のものは切腹して果てねばならぬのだぞ。その命の重さが分からぬものに人の上に立つ資格はない。下々に支えて貰っていることを決して忘れてはならぬぞ。」
上に立つという事は、多くの人がその人を上に戴くことを認め、支えているという事である。
上に立つものは、それだけ下々に大変な恩義があり、またその代りに下々の身を安堵する責任を負う。
下の人が、「こんな主君、もう止めた」と投げ出したら、地位も権力もたちまち失墜する。
そうした前提での上の立場である。
なのに、上に立つことを天賦のように勘違いし、目下の人を見下したように振る舞えば、いずれ下の人に愛想を尽かされて、それこそ立場を失うだろう。
権威を振りかざした威圧による支配ではなく、威徳により人心を従えたのが前田利家だったと感心する。