comfort zone
『the new year means nothing if you're still in love with your comfort zone.』
意訳:もし、あなたが安住のみを求めて、現状に留まるならば、新たな年を迎えたことに何の意味もない。
comfort zone、直訳すれば、快適な場所。
居心地の良い場所であり、安住、もしくは安逸とも言えるだろう。
「現状維持即後退」
現状維持しているだけで満足をしてはならない。何故なら、周りは物凄い勢いで変化しているのだ。
その中で自分一人変わらなければ、どんどん取り残されていくことになる。
だから、今に安住するな、安逸を貪るな、一歩でも半歩でも前進せよと言われる。
■comfort zoneは、ここにある
しかし、安逸を貪っているか、どうか。本当のところは、自分ではなかなか分からない。
一つは、現状維持するだけでも、結構必死だからである。人間は不思議なもので、余裕がある人はいない。皆、忙しい、時間がないと口にする。
10の時間の入れ物に、10の仕事を入れたら、もちろん目一杯である。しかし、10の時間に対して5の仕事でも、3の仕事でも、それに応じて時間を配分する。
だから、どこにも余裕はありはしない。
国会中継でテレビカメラに映りながら、大きな口を開いて寝ている偉い先生にして、時間がない、身がもたんと言う。
皆んなの意識の中では、誰も精一杯、これ以上できない、なのだ。
二つには、今日明日で、周りと明確な差がつかないこと。
例えば、毎日10分と決めてビジネスの勉強をしている同僚がいる。もちろん、1日2日では、勉強の成果は目に見えて現れない。
しかし、それが一年経ったら明らかに言っていることは変わる。そこから、追いつくのは簡単にはいかないだろう。
かくして、今日一日無難に過ごせたことに満足し、帰りのタイムカードを押す。あるいは、電気を消して眠りに就く。
だが、自分の知らないところで、確実に自分を陳腐化させる変化が進行しているのである。
意図せずして、comfort zoneを生み出して、安逸に流されているのが、我々である。
■矛盾的存在
「人生は重荷背負うて遠き道を行くが如し」と言ったのは、徳川家康だった。
重荷背負うて遠き道を行く、は誰しも実感するところだろう。そして、重荷を下ろして、遠き道の終焉を迎えたいと願っている。
それこそ、comfort zone、安逸、そして安住にどっかりと腰を下ろしたい。
しかし、安逸に流されては駄目だ、と叱咤される。何故なら、安逸に腰を下ろしたら、今の幸せが崩壊するから。
それは、治世を怠った国の末路や、経営がおろそかになった企業の末路を見ればよく分かる。
安逸であり続けるには、安逸から脱却せよ。
comfort zoneを維持し続けるには、comfort zoneを出よと言われる。
comfort zoneを実現し続けるために、comfort zoneを否定しなければならない。
人類のなんとも皮肉な矛盾である。
人間とは、矛盾的存在なのだ。
そして、「もっとも安定的生物とは、もっとも強い生物でもなければ、もっとも賢い生物でもない。もっとも変化できた生物なのだ」と言われる。
変化できるものだけが安定である。
だから、できるヤツは安心しない。
もちろん、生活の中に気持ちの安定は必要だから、そこまで戦々恐々として生きる必要はないが、毎日の中にわずかでも変化の芽を育てたい。
それが、積み重なって大きな未来を作るのだから。