今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

お客様を学ぶ

(写真:館内展示)

■言葉尽くせど

ある時、知り合いのご婦人に、タブレットの良さを説明していた。
しかし、相手は60代で、携帯電話もままならぬ世代。
便利なことは理解しても、やはり「縁遠い、自分とは無関係な話」がありありと顔に現れていた。

別にビジネスの話でないのに、少々こちらもムキになっていた。そのご婦人の生活シーンを想像しながら、「これが、こんな感じで便利になりますよ」「こんなに簡単にできるので、いつも億劫がっていることでも習慣化しますよ」と気を引こうとする。
果ては、「いつか、いつかでは、時間ばかり経ってしまいますよ。10年なんてアッと言う間です」と、少々説教めいてきたりして。

でも、「やっぱりねえ、私はねえ」の言い方は最後まで変わらなかった。
どうして、ここまで話をして分からないのだろう、といぶかりながら、ふと気がつくことがあった。

それは、理屈の上では圧倒しているが、その実、相手の心を全く動かせていなかったことである。

■ホットボタン

人はすぐれたプレゼンテーションの猛攻では動かない。
しかし、たった一言で心が動く。
心が動けば、全てが動き始める。
相手との共同作業になる。

子供の頃、おもちゃが欲しい盛りに、何日分もの小遣いをつぎ込んで、佃煮のりを買ったことがある。
それは、テレビのコマーシャルに心のボタンを押されたからだ。

まず、川で捕った鮭を抱えた熊が登場する。そして、鮭を火であぶり、身をほぐす。
その身をすり潰さずに、ほぐしたままの状態で、佃煮のりに混ぜる。
さらに、残った鮭の骨を鍋で煮て、その濃厚なだし汁を加える。
そうして、味も、身も鮭の旨味をふんだんに含んだ佃煮のりが出来あがった、と言うCMだった。

そして、子供心に食べてみたい、と言う心が起きた。
後は、少しの間貯めておいた小遣いを握りしめて、近所の個人商店に駆け込んで買い求めた。
ただ、味は想像と違って、「甘ったるいいつもの佃煮のりに少し鮭が入っているかな」程度のものだった。
人生とは、そんなものである。

しかし、間違いなくこのテレビCMは自分の心の何かを押した。
しかも、鍋で鮭の骨を煮込んでいる、その「旨味は残さず使う」的なメッセージに心のボタンを押されたのだ。
この人を動かすための心のボタンを「ホットボタン」と言う。

■お客様を学ぶ

自分たちが、ホットボタンを押される瞬間。
それは、意外に、「えっ!そこ!」だったりする。
どんなに優れた機能性や利便性を提示されても、当面の間使うシーンが思い浮かばなければ人の心は動かない。
しかし、自分が日頃困っていることや、ずっと気になっていることに、たまたま話題が振られた時、途端に人は反応する。
時に、費用対効果のバランスを完全に欠いていても購入を決意する。
後で、お客さんにそのことを聞くと、照れくさそうに笑うが、満足感は至って高い。

以前お客さんと、ITでどんなことがしたいか話し合っていた時のこと。
こんな画面作ったら、楽になりますよ。
こんな管理ができたら、もっと収益が上がりますよ。
そう、一生懸命提案するも、今一つお客さんの反応は芳しくない。
そのうち、ある他社ソフトの機能に話が及んだ時に、先方の反応が変わった。
「え~っ、そらええわ。是非、詳しく教えてくれ。」
それは何かと言えば、いろんなURLが一つにまとまった箱が、画面の右側にいつも表示されている機能である。そして、必要な時にクリックすれば、目的のHPをワンタッチで表示できる。
天気、交通情報、手配のための専門サイト、協会のHP等。
今思えば、ショートカットをデスクトップのフォルダにまとめておけばよさそうなものだが、お客さんはそこにいたく反応した。それがお客さんのホットボタンだったのだ。

もちろん、それで購入が決まるわけでない。
お客さんの要望であったり、予算であったり、費用対効果を満たすための基準であったり、そこからお客さんとの長い協議と共同作業が始まるのだ。
ただ、その入り口に立てたことは大きい。

おそらく、言葉を尽くして、こちらで全部お客さんに答えを提示しようとするのは思い上がりである。
まず、相手のホットボタンを探す。そして、うまく心のボタンを押せたら、後はお客さんとの共同作業である。
そのために、お客さんを学び、ホットボタンを意識することは怠れない。