体験のフレーム
(写真:カラフル)
参考:ダニエル・ピンク 『人を動かす、新たな三原則』より
■体験を売る
体験を売る。
どんなことだろう。
そう、例えば、ツアーなんかそうだなあ。
飛行機に乗って、観光地まで連れて行って貰い、きれいな景色を見たり、旅館で美味しいものを食べたり。
帰ってくれば、何枚かの写真と、僅かばかりの土産もの、そしてたくさんの思い出が残る。
旅行社が提供してくれたのは、旅と言う体験である。
形の残るものではない。
■人間とは体験を買う生き物
車や家、パソコンや家電。
これらは、有形の商品である。
それに対して、体験を売る、これが無形の商品。
でも、我々は、モノとして無形の商品を買うわけだが、そこに必ずなんらかの体験を期待していないだろうか。
例えば、お昼ご飯。
いろんな選択肢がある。
コンビニでおにぎり二つ買って、車で食べる。
それでも、お腹は満足する。
ある程度満足感を得たければ、すき家に入って、牛丼に卵と味噌汁をつければ、500円以内で済む。
でも実際は、すき家やコンビニの一人勝ちにはなっていない。
それは、800円を出してでも、手のかかった食材、ゆったりとした雰囲気で食事をしたいと思う人がいるからだ。
そんなの、なんでもお腹に入れば一緒だ、と言う人もいるが、ならば、麦と水を飲んで、ビールを飲んだ気になれるか?と聞けばなんと答えるだろう。
つまり、人間とは、体験のためにお金を使う生き物である。
■体験にフォーカス
お金もちと、僕らのようなものとのお金の使い方も、違うのはこの一点。
燃費の良い小型車を買うのも、ベンツのような高級車を買うのも、移動手段という点では同じ。
むしろ、混み合った街中では小型車の方が便利である。
しかし、ベンツに乗って得られるステータス感と、周りの羨望の眼差し、そして、走行中の居住性や安定した走行感のために、高い車体価格や燃料費、メンテナンス費を払っている。
つまり、小型車とベンツの費用の差は、体験の質や量の差と言うことになる。
体験にフォーカスして、価格差を付けたり、購買層に訴求する代表例としては、高級レストランや旅館が挙げられるだろう。
前から思っていたのは、なぜみんな高いお金を使って、ホテルのスイートルームに泊まりたがるんだろうと言うこと。
なぜならば一晩過ぎれば、そこから出て行かなければならないし、備品の一つも持ち出せない。どんなすごいホテルに泊まっても、元の黙阿弥ではないか。
しかし、そこで体験するのは、素晴らしい調度、寝心地の良い布団、行き届いたサービス。高いお金を払って、そんな体験を購入する。
もっと言えば、モノは陳腐化して裏切るけど、体験は裏切らない。
例えば、新品のスマートフォンを買って、高揚感があるのも、しばらく。あっと言う間に、有って当然のものになる。
しかも、しばらくしたら、どんどん新しい機種が出て、ガッカリ感からは逃れられない。
しかし、スマートフォンを持って山に行き、色づく紅葉を撮影して回った思い出は、良い体験としていつまでも心に残る。
つまり、モノは良い体験をするための手段であり、我々は良い体験をするためにモノを購入する。
なのに、今はあまりにモノにフォーカスしたプロモーションが多い。
「これ、貰える」的な。
もっと体験にフォーカスすれば、人間本来の欲求に訴えかけられると思うのだが、どうだろう。