今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

unlearn

(写真:夕空 その5)

《仕事の遅い人》

最近、「仕事の遅い人」という投稿を読む機会があった。

以下、自分自身の反省を込めて、どんな人か挙げてみたい。

一、素直でない人
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仕事の指示を受けた時、自分の中できちんと納得しなければ気が済まない人。
もちろん、そのこと自体は褒めても良い美点なんだけど、指示する方は何故それをするのか、どうしてその手法を選ぶのか見えているし、急いで指示を実行して欲しいとも思っている。
そこに来て「何故、これをするのか?」「こちらの方が効率的でないか?」と一つ一つ説明を求める。しかも、自意識が強いものだから、納得するまで説明しようとすると膨大な時間がかかる。
「とにかく言われた通りして欲しい」と堪えきれずに席に帰しても、自分の考えがしっかりインプットされているものだから、それが邪魔をして一向に手が動かない。
でも、おそらく、実際に手を動かし始めないと見えないこともあるんだよね。

二、自分で考えない人
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仕事をどこから手をつけて、どのようなステップを踏んで、最後どこをゴールにするのか。
それが見えているか、見えていないかで、仕事のスピードも出来もまるで違う。
反省してみれば、よくやるのが、取り敢えずよく見えているところから手をつけること。そして、そのよく見えている部分とは、指示の中で動き方を明確に汲み取れた部分。
つまり、言われた範囲でしか、まともに動けていない訳。
だから、行きつ戻りつしたり、無駄なことを大量にやったり、途中手詰まりになって袋小路に入り込む。
きちんと相手の言葉を汲み取り、頭を働かせて、自分なりに組み立てなければ仕事にならない。

三、優先順位をつけられない人
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出がけに急いでいるのに、おもむろにおもちゃの缶をひっくり返して遊び始める。そんな子供を、気が焦っている母親がたまらず叱りつける。我が家でも、たびたび見られる光景である。
子供は、自分で優先順位が付けられないから、今すべきことをしない。自分のしたいことをする。
しかし、大人になった今でも、こんなことやってはいないか?
急ぎで頼まれているのに、そんな相手の都合を意に介さずに、自分の順序で仕事をする。
頼んだ方は気持ちが焦れて、たびたび催促するが、一向に取り掛かってはくれない。ついには、泣く泣く自分で引き取るか、ブーブー言われながら他の人に依頼し直すことをになる。
ところが、こんな稚拙なことをしながら、至って本人は仕事をこなしている感が旺盛で、完全にイタイ人になっている。

いやはや、こう並べられると、身の縮む思いがすること、頻り。

《自己愛が強い人》

これら仕事のできない人に共通するのが、「自己愛」が強いこと。
小説「山月記」では「臆病な自尊心」、「尊大なる羞恥」と表現されているが、要は自己愛が昂じて、人の意見が聞けなくなっちゃった人のこと。
劇中では主人公は詩作で身を立てようとする。でも公の場に発表すると、酷い批判に晒されるからと、それが怖くてずっと未発表のまま置いていた。
それでいて、人が発表した詩を「なんだ、あんな三流詩」と鼻で笑っている。
意気地なしの自分を誤魔化して、人の批判だけ糧にして生きているうちに、ついに人ならぬ虎に身を落とすと言う話。

自己愛の強い人は、要は人の意見を受け入れる勇気のない意気地なし。
たぶん、自分もそうだった。
そして、成長できたはずの時間を何十年も無駄にしてきた。
意気地がないから、ひたすら人の意見に耳を塞ぎ、自分のやり方に固執する。
だから、素直に人の指示が聞けないのだし、指示を補完して自分で組み立てる余裕もない。それでいて、やたら人を責める。「お前の指示が悪かったんだ。」
そして、自分のやり方に固執してやたら一人悦に入っている。

思えば、思い当たることばかり。
恥ずかしい。

《成長エンジン》

そして、自己愛が強い人間は、「unlearn」ができないから成長できないと結ばれていた。
「unlearn」とは、不勉強とは言うことではない。
その意味は、自分なりに学んだことを全て空っぽにして相手の言葉に耳を傾けること。

人の言葉は、往々にして自分を否定する。
確かに、「頑張ってるね」「凄いね」「大したもんだね」と肯定してくれることもあるけど、殆どが仕方なく言っているリップサービス。
だから、実がない。
でも、僕らはそんな不真実な言葉が聞きたくて仕方ない。
反対に、真実の自己否定の言葉に景色ばむ。

しかし、今いるところから成長するには、自己否定が必要。
実際、自分が成長できた時を振り返ってみると、厳しい叱責の後か、大失敗の後。
激しくひっぱたかれなくては、今いる心地の良い場所を離れることなんかできやしない。

でも、頭の中を空っぽにして素直に「unlearn」できる人間には、そんな機会が頻繁に訪れるから、成長エンジンにできる。
「自己愛」の強いのは往々にして才能に恵まれている人に多い。 でも、自己否定できずに、ずっと一箇所にとどまる。
対して、平凡を自覚する人間は、気負う必要がないから、素直に人の意見を受け入れ成長の機会を多く作りだす。
だから、最後にゴールに先に着くのは、平凡でも素直な人間なんだな。

そう、昔話も教えている。
「亀なりと たゆまなければ ウサギ超ゆ」