今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

仮初めの評価を求めない

(写真:スワロー・キッズ)

《ついつい口をついて出るのは》

「どう、ちゃんと出来てる?」
「いえ、やっと3分の1くらいです。」
「なあんだ。時間があったから、少しは形になっていると思ったのに。」
相手の明らかなガッカリ顔を見ていると、だんだん心配になってきます。
「いえ、大丈夫です。前もこのような案件はこなしていますし、慣れていますから。近いうちには、形にして提出できると思います。」
「本当?なら、どうしてもっと進んでいないの?」
しまった!と思った時は、いつも手遅れで、不審感丸出しの相手に背筋に冷や汗が垂れるのを感じます。
ああ、また要らない一言を言ってしまった。

《結局、自分の首を絞めているだけなんだ》

何故、自分はこんな要らない一言を言って、むしろ相手の不審感を煽ってしまうのか。
それは、有能な人間、よくできる人間と思われたいからです。しかも、求めているのは、その一瞬だけの評価です。
悪い言い方をすれば、その時だけお茶を濁して「後は野となれ、山となれ」的な受け答えです。
でも、その場をごまかしても後が続かないので、ますます苦しくなります。

本当なら、「済みません。想定していなかった難しい部分があって、思った以上に進んでいません。あと、1か月は必要だと思いますので、なんとか期日の延長をお願いできないでしょうか。」と素直に謝るべきだったのです。
それが、我が身が可愛くて「近いうちに形に・・・」なんて言うものだから、さらにこんな突っ込みを受けることになります。
「で、出来るのは何時?今週中?」
ここで流石に1カ月とか言ったら、さっきの「近いうちに」と話が食い違うので、「は、はい。今週中には必ず。」と言わなくてはならなくなります。

「分かったよ。きっとだからね。」て相手はとりあえず納得し、(やれやれこの場は乗り越えた)と思ったのも束の間、すぐに現実が襲ってきます。
(あっ・・・、今週中って言っちまった。そんなこと出来っこないのに。どうしよう。)
いつの間にか不用意な一言で、自分を窮地に追い込んでいます。
そんな時、つくづく自分って馬鹿だなあ、と嫌になります。

《仮初めの評価より、本物になりたい》

結局、週末にどうなるか、結果は見えています。
電話で相手に平謝りして期日の延長をお願いします。でも、明らかに不満が声に現れていて、これで完全に信用を失ったことが分かります。

最初はたったの一言ですが、それをあまりに不用意に発した結果、大きな不幸を招いています。中でも、信用を失ったことが一番大きい不幸でしょう。

他にもこんなことは至るところで散見されます。
分かりやすい例なら企業の粉飾決算がそうです。いずれ全て明るみに出ると分かっているのに、取り敢えず今誤魔化せれば、そのうちになんとかなると嘘をつくのです。
これは法的に許されませんし、影響も大きいのですが、瞬間の評価が欲しくて虚偽の申告をするのです。
特に、アメリカの雇われ経営者は、業績と報酬が連動しているので、粉飾に手を染めやすいと言います。
でも、近いうちに起きる破綻が見通せなかった筈がありません。なにしろ、巨大企業の運営を任されるような優秀な人材ですからね。

そう考えれば、つくづく人間とは誘惑に弱い存在だと思います。
そして、とにかく目の前の人に評価されたいのです。
かつて、遺跡に他の場所の出土品を埋めて、世紀の発見を自作自演した遺跡の調査団長がいましたが、いずれ全てバレると分かっていながら、彼も一時の評価の誘惑に負けたのです。

だからこそ、仮初めの評価ではなく、長くかかっても本物の評価を得られるように自分を戒めたいと思います。
本来、信用とは長い時間をかけて築くものですから。