今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

人にいつも正しさを求めてはならない

(写真:路傍に咲く その2)

《たまに、間違うこともあるさ、人間だから》

少々のことなら「うん、うん」と聞いてくれる相手。
いつの間にか、「包容力もあって、小さなミスにも腹を立てない人格者」と勝手なイメージを自分の中でも作り上げています。

でも、こちらがそれに甘えて度を越した時は、さすがに「そんなことは自分で考えろよ!」と感情を露わにします。
「えっ、そんな人だったの」と、それまでとのギャップで、かえって引いてしまいますよね。
残念ながら、それがキッカケになって人間関係が疎遠になることが度々あります。とくに大人同士の関係では多いように思います。

でも、真実はこうかも知れません。
少々人格者に見える相手も人間なのだから、欲もあれば、腹も立つ、恨み嫉みの感情だってある。
でも、しょうが無い相手にでも、それを一生懸命隠して接してくれている。
つまり、いい人間を演じるのはたいへんで、もういい加減一杯一杯のところへ、さらに厚かましい態度を取られると、さすがに感情の堰も決壊をする。
それが、表面に出ただけのことです。

《そういう自分はどうなんだ》

私たちは、あまりに安易に人に対して完ぺきを求め過ぎます。
求めるだけならまだしも、いつの間にかして貰って当然になっている。

「男性の方は、毎日お仕事たいへんですね。」
「とんでもない。女性のあなただって、24時間365日、常勤状態ではないですか?」
「そうなんですよ・・・。」
と女性の方が家事育児のたいへんさを語られ始めると、男の身としてはまことに肩身が狭い。

「でもね、主婦って、きちんと出来て当たり前でしょ。どんなに頑張ってもなかなか報われないの。その癖、出来ていない時の言われ方はひどいのよ。
そりゃ、性格もだんだんキツくなるわよ。挙句には、うちの母ちゃん、結婚してガラッと変わった、とか、鬼嫁とか言われるし。」
ごもっとも。
そして、さらに、
「だいたい自分は何よ。どんなに忙しくたって、家に帰れば、上げ膳下げ膳じゃないの。一日中何にもしない、オールフリーの日だってあるじゃない。私にそんな日が1日でもあった?
男だけが社会でたいへんな思いをしているって言うのは、会社の仕事しか仕事と認めない、男目線の考え方じゃないの。だったら、私たちにも5時以降の残業手当てを払って欲しいわ。」

いえ、いえ、もう腹一杯です。

《許されているのはオレの方》

会社の先輩も、家庭の主婦も、一生懸命自分の感情を抑えて頑張ってくれています。
でも、悲しいかな、私たちは、その必死に保っている姿を当たり前に受け取って、常に完ぺきであることばかりを求めています。
そして、自分の勝手なイメージが裏切られた時に、また勝手に腹を立てたり、恨んだりしているだけです。
相手もまた、感情を持った人間であると想像したことはあるでしょうか。反省しきりです。

この人間界を「娑婆」と言います。
「娑婆」とは、仏教の言葉で、「堪忍土」と言う意味です。
この世は思うに任せないことばかりだけど、癇癪を起こさずに、堪え忍んで行きましょう、と言うことですが、実は堪忍しているのではなく、堪忍して貰っているのかも。

こんな不出来で、自分勝手で、怠惰で、我儘な私を、先輩方や、同僚や、後輩の皆んな、そして奥さんが許してくれているから生きていける。
そして、一杯一杯頑張って皆んながいい人を演じてくれているのです。
たまには、耐え切れずに怒りだすこともあるでしょう。
そんな時、許されてきたのは自分であると、我が身を振り返って反省することも大切だと思います。