今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

作業をする場所、仕事をする場所

(写真:沿線の田園)

《心が震える仕事》

「私、もっと、心が震える仕事がしたい。」

複雑な家庭環境の中、周囲から心を閉ざして引きこもりになった一人の少女。
しかし、レストランのオーナーに料理の腕を見込まれて、厨房に立つことになります。
そこでも、さんざん周りとぶつかりながら、少しずつ人間として成長した彼女は、お客さんの求めに応じてスペシャルディナーを作ります。

「素晴らしい料理を有難うございます。是非シェフに会ってお礼を言いたいのですが。」
食事にたいへん満足したお客さんが、彼女との面会を求めます。

「わ、わたし、無理です。」
そんな尻込みする彼女を、しかしオーナーは無理矢理お客さんの前に引っ張りだします。
お客さんの前ですっかり戸惑っている彼女に、そのお客さんは、
「あ、こんな若いシェフだったのですか。でも、素晴らしいお仕事をされましたね。」と、最高の賛辞をくれました。

お客さんを送った後、少女はオーナーに真顔で心を明かします。
「私、もっと、心が震える仕事がしたい。」

《仕事をする場所》

これは、以前民放でやっていたドラマのワンシーンです。
大ヒットした訳でもなく、感動大作と言う訳でもない。でも、最後のこの一言には、職業人としてグッとくるものがありました。

人によって傷つき、人との交わりを絶った少女の「心が震えた」瞬間は、仕事に真剣に向き合うことによって得られました。

そうか、「仕事」とは、心が震えるものなのだ。
それは、怒られてばかりのお客様から褒められた時かも知れません。
難しいことに取り組んで、それでも諦め切れず頑張って、最後に突破できた時かも知れません。
まとまらないチームが最後一丸となって、大きな目標を達成できた時かも知れません。

「仕事だから仕方ないですよ。」
「ああ、また仕事か、嫌になっちゃうな。」
世の中には、そんなボヤキが出る仕事の方が多いかも知れません。
目の前には積み上がる仕事を必死で片付ける。あるいは、休日までの日数を数える。終業までの時間を、あと何時間と思いながら働く。

でも、有限の人生の中、貴重な命を使っているのです。
ならば、私たちの仕事は、ドラマの少女に同じく「心が震える仕事」であって欲しいと願います。

《仕事と作業の違い》

ある社長が会の先輩社長から聞かれたそうです。
「君は何のために会社をやっとるんや?」
「えっ、そりゃ、お金儲けしていい暮らしがしたいからですかね。」
「なんやそりゃ、情けないなあ。それじゃ、君、社員に作業させとることになるで。」
「作業ですか?」
「そうや、そんなん仕事やあらへんで。作業や。社員に作業で命を使わせとってスマン思わへんのか?」

今は、すっかり有名になったこの社長も、前は仕事と作業の違いを知らなかったと、講演で話していました。

そうか、会社に拘束されていることは、命を使っていることなのか。「会社が支払う人件費が時間あたり幾らだから、それに見合った成果を上げなければ」とばかりに目がいって、自分自身が毎日職場で消費している命の重さを忘れていたようです。

仕事はつらいもの、つまらないもの、仕事だから仕方ない。確かに、そう言うところはあります。
しかし、命を使っている自分自身にワクワク感や、高揚感、喜び、そして自己実現感があってこその仕事です。
そして、それがロボットがする作業と、人間のする仕事の違いです。

もちろん「心が震える仕事」は人それぞれの感じ方であり、モチベーションです。だから、会社の環境の変化や、上司の指示待つだけではやって来ません。
私は何が自分にとっての「心の震える仕事」なのか、未だに逡巡し続けています。また、業務内容は自分で選ぶ訳にはいきませんし、年齢的、立場的に許されない仕事もあるでしょう。
ならば、与えられた業務の中で、どうしたら「心が震える仕事」にできるかは、やはり自分自身で使う命に対する責任のようです。