今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

哲学に始まり、哲学に終わる

(写真:サンセット・シルバー)

「哲学」、「人生哲学」「経営哲学」「野球哲学」。
稲盛和夫氏や、野村克也氏の顔が浮かんできそうです。

「哲学」=「人生観」「規範」「流儀」、そういい直すと分かりやすいかも知れません。
「人生哲学」=「人生観」
「経営哲学」=「経営の規範」
「野球哲学」=「野球の流儀」

哲学とは、長い人生で培われた経験知であり、また信念のようなものです。ですから、科学や合理主義では測れない、その人その人の主観的なものでもあります。

分かりやすいのが、野球哲学。
8回表で、もう10点くらい差がついていて、観客も呆れて帰り支度を始めている。ならば、さっさと諦めて、翌日以降に体力を温存する。
これが、合理的な考え方です。
しかし、10点差をせめて、6点差に縮めて試合を終わりたい。
なぜなら、この局面で4点を返せれば、「その気になれば勝てない相手じゃない」という自信になりますし、「もっと早くエンジンがかかれば勝てたのに」という口惜しさも生まれます。
その為に、虎の子のピッチャーをここで投入したり、秘密兵器の代打をバッターボックスに立たせたりします。

「そこまでしても、結局負けは負け。それより、翌日に疲れを残したり、相手に手の内がバレた方が問題だ。」
フロントからは、そのように叱られるかも知れません。しかし、敢えてこれをするところに、監督の野球哲学があります。

私たちも長く一つの業務に従事していると、それなりに経験を積んで、自分なりの流儀を生み出します。これを私たちの哲学と言っても良いかも知れません。
単純に、1+1=2の数式に当てはまらないものであり、私たちが、キャリアを積み重ねるほど、そこが強みであり、価値となります。
ですが、後輩からは「どうして〜なのか?」「もっと〜の方が効率良いのでないか?」と突っ込まれます。
確かに、後輩が数式で導き出した答えの方が理にかなっています。また、なぜ自分がそうするのかを、誰にでも分かりやすく説明するのは困難です。
だからこそ、私の仕事哲学なのですが、そんなことを口にしたら「あなたの主観でやられたら迷惑です。」と言われるでしょう。
そこで、なんとか宥めて宥めて協力してもらい完遂します。そして、結局後になって自分の選択が正しかったことが分かりホッとする。そんなことの繰り返しです。

最近は、その経験知や、哲学のようなものの存在を敢えて受け入れ、機械でそれを実現しようと言う流れがあります。
いわゆる、機械学習です。センサー技術の進化で、飛躍的に情報が集まるようになり、またそれを処理するコンピューターの性能も上がりました。
センサーから集めた情報、例えば、車の速度、ワイパーの動き、ドライバーの体調、現在位置、他の車の速度を合わせて、天候や進行ルートの渋滞状況を予測します。さらに乗務員に負担がかかりないように適切に休憩を指示しながら、最終的に正しい荷物のお届け時間を予想します。カーナビの到着予想と違うところは、これから起きる不測の事態まで情報として使用する点です。
これは、従来プロドライバーの経験知のみが達成できたことでが、それを機械がやってのけるので、世の中に大変革が起きると騒がれています。
しかし、翻って考えれば、それだけセンサーとしての人間の五感は優秀で、コンピューターとしての人間の脳は優秀だと言うことです。しかも、それが全て180㎝たらずのボディーに埋め込まれています。

合理主義や理屈では測れない、この人間の経験知や、そこから導き出された哲学は、当分の間は人間の価値の最たるものでしょう。
しかし、それはあくまでも、自分自身の知見であり、自己責任において発動すべきものです。
「哲学に始まり、哲学に終わる」、これは著名な経営者の言葉ですが、経営と言う数字の世界でこそ経験知に裏打ちされた自己の規範、すなわち哲学が求められていることが示唆されていて、たいへん勉強になります。