今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

平和ボケ


(写真:勘八峡あたり 満開)

私が、いや、殆どの日本人が間違いなく嫌いな言葉が「平和ボケ」です。
この言葉は、アメリカが湾岸戦争をしている頃、一部の政治評論家やコメンテーターがよく口にしていました。
クウェートを見てみろ。経済的に発展したが、軍備を怠ったので、隣国のイラクに侵攻されたではないか。この姿が今の『平和ボケ』日本に重ならないか?」
そう言われてから、はや四半世紀が経ちます。

それから、表立って『平和ボケ』を口にする人はすっかり少なくなりました。対して、メディアが提供しているのは、バラエティーに次ぐバラエティー。私たちの思考力を奪いに来ているのではないか、と不安になります。中で唯一、お堅いことをテーマに、柔らかく教えてくれる池上さんは、頼もしく思えますね。

対して、アニメや、ドラマ、映画の描写は、より過激に、暴力的になっています。戦時下が日常という作品もあり、そのように戦争や暴力、血や殺人に対する抵抗感を奪われているではないかとすら思えます。
しかし、シーンの設定は残酷でも、そこはお茶の間で見るものなので、見ていて気分が悪くならないように描写は抑えてあります。

アニメでは一番残酷なシーンにボカシが入り、これなら子供も怖がらないからと、親は安心して見せることができます。あの『Mr.インクレディブル』で、最後にボスキャラが旅客機のジェットエンジンに吸い込まれて粉砕されるシーンは、描きようによってはかなり残酷ですよね。

最近の時代劇映画では、いくら斬り合っても血飛沫が飛ばず、内臓が飛び出たり、首が切り飛ばされるシーンもありません。戦争映画も、一応血飛沫は飛びますが、あまり残酷さは感じられません。
私は子供の頃に、西部劇の時代に生まれられなかったことを悔やんだことがあります。拳銃で悪いやつをバッタバッタと倒せますし、仮に弾が当たってもあまり痛そうではなかったからです。
しかし、スティーブ・マックィーンの映画を見てビックリしました。弾が相手の顔に当たって、粉微塵になったからです。しかも、それを見て銃を撃ったマックィーンは、顔色ひとつ変えませんでした。
その時、子供心にも西部劇のリアルはこれなのだ、と分かった気がしました。そして、その後あまり西部劇の時代に憧れなくもなりました。考えてみれば、治安も不安定で、自衛のために皆んな銃を携帯している社会では、いつ撃たれるかも分からず、不安でしょうがないですからね。

また、トム・ハンクス主演の『プライベート・ライアン』もタイトルから想像できないほど、描写が生々しい戦争映画でした。
まず、いきなりノルマンディ上陸作戦から始まります。教科書の知識では、第二次大戦のターニングポイントになった史上最大の上陸作戦として、作戦の成功ばかり印象に残っていました。しかし、上陸を敢行した連合軍へのドイツ軍の抵抗は激しく、累々たる屍体の山が築かれています。
映画でも、手が飛び、足が飛び、胸に穴が空いて出血でショック死します。
そんな残酷な描写に、感動作どころか、かなり引いてしまいました。
それでも、一般大衆向けなので描写はかなり抑えたんでしょうね。
また、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」で、戦艦に敵の砲弾が直撃した様の描写は、小説ながら食欲が減退しました。

しかし、どんなに残酷に描いても、戦争や暴力の現実は映像にはできません。
故に、私たちには、そのことを認識する文化が必要だと思います。つまり、私たちが今想像したり、見せられている創作は、現実とは乖離しているとキチンと声に出す必要があるのです。
確かに「平和ボケ」と言われると、悔しくて反論もできませんが、いたずらに拳を固めることばかりを覚えるのではなく、拳を使った時に何が起きるかを正しく認識することが、まず最初であると思うからです。