今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

大型連休に思うこと


(写真:錦、春の訪れ)

今年の5月の大型連休は、カレンダー通りの会社でも2日から6日までの5連休となりました。
盆暮れが年にもう一度あるようなものです。

始まるまでの期待感に相まって、終わった後に「明日からまた会社か」という悲哀が漂います。
まあ、ゴールデンウィークは終わったけど、今度は盆休みもあるし、あと3ヶ月ちょっと頑張ろうと励ましたりして。
しかし、少し待ってください。
ずっとこんなことの繰り返しで、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎていないでしょうか。
社会人になって何十年も経ちます。その間経験を積み、立場も変わりましたが、果たして自分自身に何かを変化や成長はあったでしょうか。

アニメで有名な一休さんは、そんな私たちの人生を、
「人生は 食て寝て起きて糞たれて 子は親となる 子は親となる」
「人生はタライからタライの五十年」と表現しました。

「人生は 食て寝て起きて糞たれて 子は親となる 子は親となる」とは、つまるところ人間の営みは朝晩の布団の上げ下げと、台所と便所の往復。その間に、勉強をしたり、仕事をしたり、出世をしたり、子育てをしたりして、人生が過ぎ去って行くと言うことです。
「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」で、結局人間が生きていくには最低限の場所と糧があれば良く、後は全て人生の装飾だと言うのです。出世や財産獲得に汲々としている私たちも、一休さんにかかるとかたなしです。

「人生はタライからタライの五十年」とは、裸で生まれてタライで産湯を使い、また裸でタライ(つまり棺桶です)に入れられて葬られる。つまるところ、その間に知った、覚えた、手に入れたものは何も持っては行けない空奉公であると言うのです。
あの太閤秀吉にして、辞世に「露と落ち露と消えにし我が身かな 難波のことも夢のまた夢」と言っているので、私たちが認められる認められないに関わらず、この一休さんの言うことには真実味があります。

しかし、それにしてもなんと辛辣なことを言うのでしょう。私たちの努力を否定する反社会的とすら思える言動です。
ただ、一休さんは私たちを困惑させたり、やる気を削ぐために言っているのではありません。
「本当に悔いのない人生を送りなさい。過ぎ去る時間に流されて、気がつけば不本意なまま人生の終わりを迎えなくてはなりませんよ。」と警告をしているのです。

大型連休も、始まるまではあれもしよう、これもしようと計画を詰め込みますが、過ぎ去ってしまえば、何だった?という思いを抱くものです。
それが人生の縮図ならば、同じように人生も何もないまま過ぎ去ってしまうのではないかと危惧します。
この連休を本当に有意義なものにしたいと思えば、何か一つに絞って集中するでしょう。同様に私たちの人生も、必ずしなければならないことと、時間があればしたら良いことに分けて、まずはしなければならないことに集中しなければなりません。
毎日に流されて、時間を無駄にしがちな私だからこそ心がけたいことです。