今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

まず、目の覚めたものから

(写真:門前)
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「まずいな、変わらなきゃ」と思う時、単純に一つの原因だけを見ても分かりません。
会社ならば、販売、製造、開発、企画がみな同じく問題を抱えていて、それが会社全体の、例えば業績のように目に見える形で現れます。

ところが、人間はどうしても他の人間にばかり目がいくものです。

「自分らはちゃんとやっている。これ以上どうすれば良いのか。それに比べて、あの部署は、あの担当は・・・。」

気がつくと、人をあげつらって憤懣やる方ない自分がいます。
家庭内でも、労使間でも、政府と国民の間でも、こんな対立はしょっちゅうです。

夫「俺は、こんなに外で苦労しているのに、妻と来たら『お帰りなさい』の笑顔すら出し惜しむ」

妻「妻の仕事は365日24時間休みがないのに、自分だけが働いているような顔をして」

経営者「毎日、会社に来て、時間さえ働いていればちゃんと給料がもらえると思っている。私がどれくらい資金繰りに苦労しているか知っているのか。」

労働者「自分ほど優秀な人間なら、もっと給料が高くて当然。現に隣の会社は、自分よりキャリアの浅い人間がずっと高給を貰っている。経営の仕方の問題だ。」

政府「何かと言うと節税、節税で出さないことばかり考えているくせして、すぐに対策だ、支援だと口にする。その金を捻出するために借金をすれば、国の借金が増えたと叩いてくる。」

国民「民間がこんなに努力しているのに、くだらない箱物に金をつぎ込んで大損をしては、税収が足らぬと、増税、増税!普通の会社ならば100ぺんは潰れている。」

いかがでしょうか。
どちらの立場で読んでも腹が立ってこないですか?
これは、アリ地獄のようなもので、お互いの非を責めるほど、自分が見えなくなり、相手との距離は遠くなります。ここから抜け出すには、やはり自分の気持ちを変えるしかないようです。

「もっとも申し訳ないのが私」
「一番怠けているのが私」

人は、口で言われても分かりません。やはり気付くことでしか変われないのです。
「こうなってください」と言われるより、真摯に頑張っている人を見た時、その成果うんぬんは別にして、「あんなに頑張っているのか。それに比べて俺は・・」と気付きます。
そのためには、誰かが率先して動きだすしかない、変わるしかないのです。

そして、それは皆が眠りこけている中、一人目を覚ました人です。その目を覚ました人から、まだ眠りこけている人を起こすのです。
そのために、まず変わるのは、人ではありません。自分が唯一変えることのできる人物、そう「自分自身」です。