成長とは、考え方×情熱×能力#164
東の門
「幸せが続かない?」
「そうです。とみも、けんりょくも、かしこいあたまも、つよいにくたいも、すべて、このよにいきている、わずかなあいだだけのものです。やがて、からだが、ほろびるとどうじに、すべておいて、このよをさらねばなりません。」
「私もそうだ・・・。」
「かよこさん、あなたも、いちやかぎりのスイートルームにとまったおきゃくさんのようです。ひとのなんばいもめぐまれて、じゆうにできるひとも、おかねもたくさんあります。」
「えへへ、そうでもないんだ。」
「いまは、いろんなものがじゆうに、てにはいるせいかつですが、やがてあさがきたら、なにひとつもちだせずに、そこをさらねばなりません。」
「うん、それに高い部屋に泊まったら、後の精算がたいへんそう。」
「たしかに、このよで、せんそうをしたり、おおくのひとをしょけいしたり、やりたいほうだいやったひとで、あとのせいさんが、しんぱいなひとはたくさんいます。」
「でも、その王子様は、どうしてそのことがわかったの?あなたのようなロボットもいなかったのに。」
「それは、こんなことがあったからです。
そのおうじさまは、それまでずっとおしろのなかですごしていました。それで、あるとき、はくばにまたがり、おともをつれて、しろからでて、まちにあそびにいくことにしました。
まず、ひがしのもんからでたおうじさまは、ふだん、おしろではみなれないものをみかけました。」
「見慣れないもの?」
「そうです。それは、みちばたに、ムシロをしいて、よこたえられているひとたちでした。はだはただれ、みはくさりかけ、あくしゅうがただよっています。そして、みちいくひとにうめいて、じぶんのくるしみをうったえていました。
おうじは、おどろき、とものものにききました。『あれは、なんだ?』と。」
「それは、なんだったの?」
「とものものは、おごそかにこたえました。『あれはびょうにんです。そして、わたしたちとおなじにんげんです。どんなに、わかくけんこうなひとも、ひとたび、やまいにおかされたら、あのようなひどいありさまに、かわりはてるのです。』
『あれが、わたしとおなじにんげんなのか?とてもしんじられん。』
とものもののこたえに、おうじはたいへんおどろいたのです。」
「王子様のような聡明な人が病人も知らなかったの?」
「ちしきとしては、しっていました。でも、じっさいに、めでみたことは、はじめてでした。おしろにびょうにんがでたら、すぐにそとにだされていましたから。そんないやなものは、おうじの、めにふれないように、すぐかくされたのです。」
「ああ、それは私たちも同じね。たまに体調が悪くて病院へ行くと、病気で苦しんでいる人がたくさんいるもの。でも、いつもはそんなことを知らずに過ごしている。病気をした人は、病院に集められて私たちの目に触れないような社会になっているからだわ。
テレビを見ても、雑誌にもあまり出てこない。私たちは、人生の健康で、明るい面ばかり見せられているうちに、それが人生そのものだと思うようになっているのね。」
「おうじは、かさねて、とものものにききました。『びょうにんとは、どのようなものがなるのだ?つみをおかしたものか?』
ともは、『いいえ、おうじさま、びょうきはだれでもかかります。にくたいは、やまいのうつわです。からだがあるいじょう、だれひとりまぬがれられぬものです。』
・・・
『だれ、ひとり、わたしもか・・・。』
『はい、わたくしも、このまちにくらしているだれも、そして、おうじさまもです。』」
「そして、私も・・・。」
「はい。それをきいたおうじさまの、おどろきはたいへんなものでした。」
(#165に続く)