今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#146

(写真:田園の黄金雲 その2)

暴走

意を決したように、マダム・ピアは口を一文字に引きむすんだ。
夫人の体内ではどんな電気的な指令が出されているのか、外目からは知る由もない。
だが、鎧に装着されたフレーム内部のアクチュエイターの動きが急に活発になった。
そして、右足が大きなストライドで前に出たかと思うと、すぐに左足もそれに続いた。
そして、ロボットの機体は1メートル以上も先に運ばれていた。

「わあ。」

夫人は声を上げる。
それは、突如走りだしたロボットに驚いて上げた悲鳴とも、十何年ぶりに自分の意思で走ることへの歓喜の声とも受け取れた。
夫人は、なおもペースを上げ続ける。
会場からは、驚嘆と夫人を案じる声がザワザワとさざ波のように広がり始めた。
ロボットを装着した夫人は、まるで羽が生えたように会場を駆けていく。出口付近では、そのまま外に飛び出してしまうのではないかと案じられたが、右足を軸に器用に向きを変え、またステージの方へ戻ってきた。

(少しスピードが出すぎているんじゃないかしら。)

不安な気持ちを抱いて宙の方を見ると、彼の表示からは余裕が消えていた。
そして、マイクに向かって一生懸命何かを喋っている。それは、マイクの向こうのオリヴァーにリモートでロボットの停止を要請しているのかも知れない。

その時、歌陽子のイアホンに前田町の声が聞こえた。

「おい、嬢ちゃん。聞こえてるか?」

「あ、前田町さん。」

「いけねえよ。あのばあさん、魂をロボットに持っていかれちまってる。あいつは人間の意思を器用に読み取って、その通り動く機能はあるようだが、人間が暴走した時のことまで考げえてねえ。安全設計に一部不備があるのよ。」

「そ、そんな・・・、どうしたら良いんですか?」

「まず、なんとか、あのばあさんの気を沈めるんだ。あのばあさんしか、ロボットを止めることはできゃしねえ。あんた、あのばあさんにいたく気に入られているようだから、嬢ちゃんが呼びかければ少しは落ち着くんじゃねえか?」

「は、はい。なんとかやってみます。」

「おい、来たぜ。」

「はい。」

また、かなりの高速でこちらに向かって走ってくるロボットに、歌陽子は呼びかけた。

「マダム!少し・・・もう少し速度を落としてください。」

「だ、ダメ。止まり方を・・・忘れてしまったの。もう、十年以上も・・・走ってないのよ。」

梨田夫人は叫ぶように言葉の余韻を残しながら、歌陽子の鼻先で風を巻いて走り去った。
そして、今度はブースの後ろに走りこんだと見るや、真ん中のブースと右端の歌陽子のブースの間から走り出て来た。
そして、今度はまっすぐ観客席に向かって進んで来る。向きを変える様子もない。
ロボットの中の梨田夫人は、真っ赤な顔をしてなんとか止めようと思うのだが、勢いがついた機体を無理に止めようとすれば、慣性で吹っ飛ぶかも知れない。

とっさに、歌陽子は、

「みなさん、場所をあけてください。」と叫んでいた。
弾かれたように、最前列の数名が立ち上がり、前から数列が空席になった。そこに、ロボット毎梨田夫人がぶつかろうとしていた。
空席のパイプ椅子にロボットがぶつかろうとした刹那、歌陽子はロボットの前に両手を広げて立ち塞がった。

「か、歌陽子!お前、何を。」

さっきからことの成り行きを落ち着かない気持ちで見ていた克典は、娘の思わぬ行動に腰を浮かせた。

歌陽子は・・・、

自分のか細い身体をクッションにして、梨田夫人をロボットごと受け止めるつもりなのだ。

(#147に続く)