今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

成長とは、考え方×情熱×能力#125

(写真:猫カン)

マダム ピア

時刻は昼の1時近くになり、少しずつ今日の主賓である高齢者たちが集まってきた。
高齢者のうち、半分くらいは要介護者である。介護施設の職員に付き添われている人もあれば、家族に車椅子を押されている人もいる。自分で呼吸するのが難しいので、酸素吸入器を車椅子に付けている人や、みなそれぞれに人生の終盤に老苦をにじませていた。
なぜ、そんな彼らが厳しい老体を引きずってこの場に参じているのか。
それは、事前に養護老人ホームや行政に働きかけた東大寺グループ代表側近の村方の説得に、皆が高度要介護社会の光明を見出したからだった。

「今までの介護とは、身体的機能の衰えた高齢者の皆さんの出来ないことを、代わりにお世話することを意味していました。
しかし、出来無くなったことをお手伝いしているだけでは、ゆっくり坂道を転げ落ちるように死んでいくのを先延ばしているに過ぎません。そんな寂しい終末に灯りはあるでしょうか。
また、それすらも急速な高齢者人口の増加により、近い将来介助者は30万人以上不足すると言われます。当然、その負担は家族にかかり、働き盛りの男性が介護により退職を余儀なくされます。それは、日本の産業自体が立ち行かなくなる一因となるのです。
私たち東大寺グループは、医療分野の先進企業として、最先端技術による高齢社会のサポートを目標に掲げました。それは、技術により高齢者の方が自立的に活躍できる社会の実現です。
加齢によりできなくなったこと、例えば歩行などの移動、会話や聞き取りなどのコミュニケーション、その他記憶や認識などの能力をロボット技術でサポートし、再び自立的して社会生活に参加して貰うのが、私たちの目指すものです。
ちょうど衰えた視力をメガネやルーペで、衰えた聴力を補聴器でサポートして通常の生活を送ることができるように、ロボットの支援で従来の自立した生活を取り戻して貰います。
ついては、この度、東大寺グループ傘下の三葉ロボテクを中心に、高度高齢社会の光明となるロボットの試作展示を行います。また、その場で三チームに分かれて、介護される皆さん、介護をする皆さんにとって一番望ましいロボットをご提案いたします。
是非、足を運ばれ、未来の介護の光明となるロボットを選択していただきたいと思います。」

どんなに若い頃辣腕で鳴らしたり、あるいは羽振りを利かせて人を思うままに使った人でも、身体が動かなくなり、立ち居振る舞いも思うに任せなくなると、孫のような若い介護士の世話にならなくてはならない。若い頃にできたことができなくなり、下の世話すら自分でできない。恥ずかしさや、情けなさは尽くせないが、そんなことはかなぐり捨てなければ生きることすら叶わない。
死んでいくその日までは、食べ、飲み、眠り、排泄し、この身体を維持し続けるのだ。
しかし、そんな苦しみまでして、なぜ生きる。
結局、死んでいくことは変わらないのに、もう前のように笑ったり、楽しんだりすることは叶わないのに、日々衰えていく身体を維持するだけの存在。
人としての尊厳は何か。
生きる意味は何か。
大事な人たちやものは自分からみな離れてしまった。この喪失の人生相に光明を与えるものは何か。

しかし、
その人生にまた尊厳が取り戻せるかも知れない。
村方の発した問いかけは、少なからず要介護者たちの胸を打った。

この会場はコンサートホール形式ではない。
パーティや展示会、コンサート等何にでも転用可能な多目的ホールであった。
多人数の公聴会や講習、そしてコンテストが開かれる時はホール一杯に椅子が並べられた。
今回の三葉ロボテクのロボットコンテストでは、コンテスト出品者の三つのブースが中央と両脇に作られていた。
その前に並べられた椅子は300脚をくだらない。通常はホール備え付けのパイプ椅子だが、今回は高齢者たちの身体を慮ってクッションのしっかりした椅子が用意されていた。そして、それは東大寺グループの用意したもので、コンテストが終わればそのままホールに寄贈されることになっていた。
会場の数カ所には、高齢者の体調の急変に備えて医療スタッフが待機していた。
また、ゆっくり楽しんで過ごして貰えるよう、飲み物や食べ物も十分準備されていた。

右端のブースの前に立って、歌陽子は主賓の高齢者たちを出迎えていた。
そこへ、一人の老女が若い男性の介護士に車椅子を押されて現れた。

「あっ、あそこがいいわ。だって、あんな可愛いお嬢さんが出迎えてくれているのですもの。」

「梨田さん、騒ぎすぎです。また、血圧が上がっても知りませんよ。」

「いいじゃない、今日はお祭りよ。」

そう言って梨田老夫人は、歌陽子の前に車椅子で席を取った。

「あ、今日はよろしくお願いします。」

「よろしくね。あら・・・、あなた。」

「あ、はい。」

「ちょっと、こちらに顔を寄せてくださらない。」

「え?」

「いいから。」

そう言って老夫人は、歌陽子の顔にそっとハンカチを当てて何かを拭き取った。

「あ。」

「そうよ、若い娘さんが頰にケチャップなんか付けていてはいけないわ。」

歌陽子は、ハッと頰に手を当てた。

それは、さっき宙から渡されたハンバーガー。悔しくて、いじましいと思ったけど、背は腹には変えられない。一時バックヤードに引っ込んで、急いでジュースで流し込んだ。
でも、その時のケチャップが残っていたんだ。

「あ、あの、有難うございます。」

「梨田さん、あまり若い子をからかっちゃダメですよ。」

「いいじゃないの、そのままだったら、あなた恥をかくところよ。ねえ。」

「は、はい。」

「それにね、いつも言ってるでしょ。私はね、梨田じゃなくて、マダム・ピアなのよ。」

(#126に続く)