成長とは、考え方×情熱×能力#119
寝坊
「え?」
一瞬、状況が分からなかった。
なぜ、電話の向こうの野田平はそんなに怒っているのだろう?
「あの、野田平さん?」
「カヨ、お前、時間を見やがれ!」
「え、時間?」
耳に当てたスマホを離して、画面を見る。
画面の上に小さく表示された数字、
9時30分!
ガバッと歌陽子はベッドから上体を起こした。
(寝坊だあ!!!)
今日は、野田平たちとホールの前で、9時に待ち合わせていた。
もう、30分!も過ぎてる!
それで、堪え切れなくなった野田平が電話を寄越したに違いない。
いや、違う。
きっと、この電話の裏側には、着歴が山のようにたまっているに違いない。
「おい、カヨ!聞いてんのか!お前、どうすんだよ!」
耳に当てていなくても、しっかり野田平の怒声が響き渡る。
「あ、あの・・・。」
恐る恐る耳に当てたら、
「このウスノロ!役立たず!無責任!クズヤロウ!」
暴言の嵐が吹き荒れた。
「ご・・・、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめん・・・。」
「うるせー!ぐだぐだ謝ってんじゃねえ!」
「おい、のでえら、かわんな。」
野田平の罵声の向こうに、低い声がした。
うわあ、前田町だ。
前田町は、仕事にいい加減な人間には決して容赦がない。
そして、歌陽子が仕出かしたのは、まさに前田町が嫌いな仕事を舐め切った振る舞い。
本気の前田町に怒られたら・・・、もう立ち直る自信がない。
スマホを持つ手が小刻みに震える。
お腹が痛くなってきた。
昨日、宙に蹴られたよりも、もっと。
このまま電話切っちゃおうか・・・。
いや、とてもとても、そんな恐ろしいことはできなかった。
そして、
「嬢ちゃん・・・。」
前田町の今まで聞いたことがないくらい不機嫌な声が響いた。
「は・・・、はい・・・。」
かろうじて返事をしたが、喉の奥で声が掠れた。
口のなかが乾いてきた。
次の一言を待つまでの時間が長い。
「でえじょうぶか?」
しかし、声の感じと異なり、前田町の口からは歌陽子を労わる言葉が発せられた。
「え・・・、は・・・い。」
「嬢ちゃんのことだ、例によって何かあったんじゃねえかと心配したぜ。」
「そ、それは・・・。」
「前さん、今朝オリヴァーを見た途端、『てめえ、うちの嬢ちゃんに何しやがった!』って殴りかかっていましたからね。」
「手篭めにでもされたんじゃねえかって、な。」
電話の向こう側から、日登美と野田平の軽口が漏れてくる。
「こら、おめえら、いらねえこというんじゃねえ。」
(て、手篭めって・・・。)
「何にもねえんだな。」
「は、はい、何にもないで・・・す。」
「よし、良かった。この・・・バカ、ムスメが!」
そこで、初めて前田町の怒声が大音量で響いた。
耳がキーンとなった。
だが、それきり前田町は声の調子を変えて言った。
「焦らなくていい。コンテストの本番は昼からだ。しっかりめかしてくるんだぜ。何しろ、あんたが主役だ。嬢ちゃん抜きじゃ始まらねえ。頼んだぜ。」
「は、はい、ぐずっ。ごめんなさい。」
こんな怖い人は知らない。でも、同時にこんな優しい人も知らなかった。
感極まった歌陽子は、電話に向かってすすりあげた。
「また、泣いてんのか。しょうがねえ嬢ちゃんだなあ。それより、時間がなくなるぜ。早くしな。」
「は・・・い。」
プッ。
そこから、歌陽子の頭の中では、時間の計算が始まった。
ロボットコンテストは昼からとは言え、打ち合わせも必要だった。だから、12時前には着いていたい。
移動に一時間かかるとして、あと一時間半で家を出たい。その間に、お風呂にも入らなくてはならないし、身支度もしなくてはならない。用意した洋服に合わせてヘアのセットも必要だった。
タイトなスケジュールが分かると、歌陽子はベッドから飛び出して、ドアを開け、吹き抜けになっている部屋の前の手すりから下に向かって、大きな声で叫んだ。
「安希子さん、お願〜い。力を貸して!」
(#120に続く)