今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

成長とは、考え方×情熱×能力#118

(写真:桶狭間のくれは(紅葉)その1)

姉弟の夜

さっきまで、歌陽子が楽しんで食べていた、安希子特製のサラダの味が変質してしまった。

バリバリと無遠慮にポテトチップスを頬張り、口の端からカケラを飛ばしている弟に、歌陽子の神経は逆なでされた。

「宙あ。」

それでも、遠慮がちに声をかける歌陽子。
しかし、宙はそれに何も返さない。

「あのね、お姉ちゃんが先にここにいたでしょ。だから、お願いだから、少し静かにしようか。」

ふん、と言った顔で、尚もポテトチップスを頬張り続ける宙。
殆ど家から出ない宙は色が白い。それに母親の志鶴に似て、線が細く繊細な顔立ちをしていた。見た目には優しげな少年である。
しかし、いつも見せるふてぶてしくて、憎々しげな態度は、彼の外面的な美点を殺してしまう。

心の中にモヤモヤとした気分を抱えながら、(いつもみたく何を言ってもしかたないわ)と、歌陽子も自分の夕食を突く作業に没頭した。

やがて、あらかたスナックを食べ終えた宙は、袋の口を右手で握り、そこから息を吹き込んだ。そして、空気で膨らんだ袋を高く掲げて、左手で袋の底を思い切りひっぱたいた。

ポン!

「きゃっ!!」

思いの外大きな音が出た。
サラダを突くことに集中していた歌陽子は、完全に虚を突かれて飛び上がった。

破裂して、底の抜けた袋からは盛大に残ったポテトチップスのカケラが飛散し、歌陽子の頭にも降り注いだ。

そして、歌陽子もさすがにこれには頭に来た。

「こら、宙!なんてことするのよ!」

頭のチップスのカケラを振り払うと、二人を隔てているテーブルを回り込んで、歌陽子は向かいのソファの宙に飛びかかった。
小柄だが、まだ中学生の宙に対して、僅かだけ歌陽子の方が身体が大きい。
上からのしかかって押さえつけ、右手を振り上げてぶつ真似をした。

「さあ、謝んなさい!お姉ちゃん、ホントにぶつからね。」

「やれるもんならやってみろよ!大人のくせして、子供に暴力を振るうのかよ!」

「どこが子供よ!さんざん大人を小馬鹿にしているクセして。」

「だってしょうがないだろ。ホントに馬鹿なんだから!」

「この、世間知らず!井の中のカワズ!」

「それは、ねえちゃんだってだろ。普通のヤツの真似をして、会社で働いたりして。でも、結局『お嬢様』って言われてチヤホヤされて、そんなの、世間知らずと何も変わらないじゃん。」

「あんたに、私の苦労の何が分かるの!『お嬢様』だなんて誰も言ってくれないし、返って言われたくないことを言われなきゃならないし、ちょっとしたことですぐに噂になるし・・・。」

歌陽子の顔はみるみる赤くなって、声もだんだん涙声になってきた。彼女は、感情の高ぶりに滅法弱いのだ。

だが、その歌陽子の顔を、宙は手元のクッションをつかんで、思い切りひっぱたいた。

「い、痛いじゃない!」

「なんだよ、最初に手を出してきたのはそっちだろ!」

「許さない!」

歌陽子は、中学生相手にすっかり本気になった。

「離せよ!」

やはり感情の高ぶった宙は膝を曲げて、押さえつけている歌陽子の腹を思い切り蹴り上げた。

「グッ!ううっ・・・。」

蹴り上げられた腹を抑えてソファの下にうずくまる歌陽子。痛さと、情けなさでポロポロ涙が溢れてくる。
大人げなく子供に掴みかかって、挙句に返り討ちになるなんて、それはあまりにみっともない。

宙の蹴りはひどく身体に刺さった。そして、痛さのあまりしばらく身動きが取れなかった。その間中、ポロポロポロポロ、涙がとめどなく溢れて止まらない。

歌陽子の様子に少し怖気付いたのか、宙はわざと彼女を見ないようにして、

「ばあか、ザマアミロだ。さっさと寝ちまえ!」と捨て台詞を吐いて、階段を駆け上って行った。

歌陽子は、

涙で顔をグチャグチャにして、30分近くそのままでいた。
そして、少し痛みが和らいだ頃、ふらりと立ち上がってノロノロと自室へ歩き始めた。
宙がポテトチップスをまき散らしたリビングも、食べかけの安希子の特製サラダも、昼間汗をかいた身体も、全部そのままにして。
ただ今は、何も考えずにベッドに倒れこみたかった。

そして、

重苦しい夜が明け、歌陽子を起こしたのは、枕元に放り出した携帯の着信だった。

「はい・・・、おはようございます。ふわあ。」

「おい!何寝ぼけてやがる。」

「は・・・、はい?」

「だから、今何時か分かってるか、聞いてんだよ!この馬鹿野郎が!」

(#119に続く)