今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

成長とは、考え方×情熱×能力#90

(写真:オレンジ・トゥ・パープル その5)

安希子の気持ち

「あの、安希子さんが私のことを嫌いなのはよく分かりました。でも、あまり他の人にはひどいことはやめてください。」

「別に・・・、嫌いじゃないわ。」

「え・・・。」

「嫌いなら、なんで10年も付き合ってるのよ。」

安希子が歌陽子のことを好きか嫌いか、そして歌陽子がそれを知っているかいないか。
10年も付き合ってきた二人が今更それを口にするのはおかしいと思う。

おかしいと思うが、今までそれを口にすることはなかった。
考えてみれば不思議な関係である。
口は悪いし、態度も悪いが、基本的に安希子は歌陽子の面倒をよく見る。かなり表現には難があるが、安希子が歌陽子に投げつけるひどい言葉も、中身だけ吟味すればなかなか親切な世話焼きである。
一方歌陽子も、安希子の毒舌に気持ちをくじかれ、時に泣かされ、心を折られながらも、結局は安希子に多くを頼っていた。
志鶴の指摘通り、安希子なしではドレスもまともに着られない。
この精神的な支配関係と、外面的な主従関係とは、互いの依存心によって微妙なバランスで成立をしていた。
安希子にとって歌陽子は、割と捌けた遊び仲間のようなものであったし、また手のかかる子供のようでもあった。
歌陽子にとっても、安希子はある意味母親であった。それは、8歳と言う歳の差もさりながら、母親より公人の顔をしていることが多い志鶴に求められない母性を、安希子に求めていたのだ。
「本当にしょうがないねえ、この子は。なんでお前のようなバカを産んじまったのか、お天道様に顔向けできないよ」とひどく罵りながら、結局我が子に対する奉仕は片時も緩めない、そんな母親と子供のつながりが、自覚はなくても二人の間にあった。

そして、二人の間に、さらに大きな変化が生まれていた。
それは、歌陽子が東大寺家の枠を嫌って、外の世界に飛び出したからだった。
今まで、バカな娘と蔑みながら、その実手元に置いておきたいと言う気持ちが安希子には自覚なくあった。東大寺家と言う巨大な檻は歌陽子をずっと自分のもとに閉じ込めておくはずだった。
だが、歌陽子はそれまでに十分養った足腰のバネでポーンと外界に飛び出した。そして、見る見るうちに自分の世界を作り上げていく。
三葉ロボテク、開発部技術第五課、野田平、前田町、日登美の技術者たち、泰造と言う名の新鋭クリエイター、そして、異邦の青年オリヴァー・・・、歌陽子の世界に突然現れては強烈なインパクトで、彼女をてんてこ舞いせる登場人物たち。歌陽子は、彼らに振り回されながらも、最後は剥き出しの自分でいろんな障害を乗り切ってきた。
それは、不器用な歌陽子の精一杯の生き方。
そして、いつもスマートな安希子の決して出来ない生き方。気がつけば、置いてけぼりは安希子の方だった。
それが悔しくて、ますます歌陽子に舌刀を振るう安希子。言葉で貶めることが、唯一歌陽子とのコミュニケーションであり、開いた距離感を埋める手段であるかのように。

「いい加減にしてよ。どうして、あんたはそんなに根っからのお嬢様なのさ。」

「別に、私は自分をお嬢様だなんて思ってません。むしろ、他の人よりずっと生きるのが下手で迷惑をかけて謝ってばかりいます。」

「そう、それが東大寺歌陽子の憎らしいところよ。ひどいことをされたら、喚くとか、罵るとか、恨み、呪うだろ、普通。それが、まともな人間のすることだろ。だけど、あんたときたら、頭のネジが飛んでるのか、感情がないのか、なんとか苦労して、自分の中に飲み込んじまう。それで、何事もなかったように、ニコニコしてるんだから、畏れ入るよ。」

「違います。私はただ意気地なしで、自分の気持ちを見せる勇気がないだけで。」

「じゃあ、心の中はドロドロの坩堝だね。ああ、気持ち悪い。」

「そ、そうです。ドロドロです。安希子さんのように外に逃がせないから、ドロドロのドロドロです。」

あっけに取られて二人のやり取りを聞いていた、女子農業塾生。ただ、どう見ても、安希子の方がドロドロの権化だと思えてならない。

「あたしのことはどうでもいいよ。なんだよ、昔は何でも言うことを聞いたくせに、一人で勝手に大人になっちまって。」

ポロリと本音をのぞかせた安希子に、歌陽子は例によって無自覚な天然っぷりを発揮して、顔に笑みを溢れさせた。

「私たち、本当は年の離れた姉妹でしたもんね、ずっと。」

「こ、この!調子に乗るな!誰があんたみたいなおバカちんの姉貴なもんか!それに歳が離れた、は失礼だろお!」

「あ、ごめんなさい。だけど、私がバカだから余計放っておけないかったんでしょ。バカな子ほど可愛いって。」

「自分で言うな!だけど、あんたは今でも、何て言うか、その、可愛いいよ。それどころか、ますます、可愛くなったよ。もちろん、見た目のことじやないよ、バカっぷりが際立ってきたって言う意味だよ。」

「はい、いいです。私は安希子さんにさえ、可愛いと言って貰えれば満足です。」

「ほんと、可愛くないねえ、このお嬢様は。」

そこで、歌陽子はすっくと立ち上がって、安希子に向かって言った。

「はい、じゃあ、今日はここまで。今からは、東大寺家令嬢歌陽子お嬢様と有能なハウスキーパーの安希子女史に戻りましょ。」

「・・・。」

「安希子さん。」

「はい・・・、歌陽子お嬢様。」

「じゃ、まず、この方の服装を整えて下さる?」

「畏まりました。」

農業女史は、安希子が一瞬で変貌したことにただ驚いた。

「それと、あと私にドレスを着せてください。この後、今日の主役の務めを果たしますので。」

(#91に続く)