今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

成長とは、考え方×情熱×能力#83

(写真:水彩画展 その1)

女子の一念

「のお、高松の。歌陽子の好きにさせてくれんか?」

「え・・・、しかし。」

祐一が躊躇したその一瞬、手の力が緩んだ隙に、彼から自分の肩をもぎり取ると、歌陽子は拳を固めてオリヴァーに向かっていった。

「お主ら、手出しは無用じゃ!」

東大寺老人から、ピシリと声が飛ぶ。

「師匠!」

「ですが・・・。」

「歌陽子自身にやらせるんじゃ。」

窓ぎわから、ずいと上体を起こしたオリヴァーは、頭一つ分歌陽子より背が高かった。
見下ろされながらも、歌陽子はオリヴァーの胸板めがけて拳を振り下ろした。
だが、拳が届く前にハッシと手首を押さえられてしまった。

「マサノリ、これはどう言うことですか?僕はこれから皆さんと仲良くしたいのですよ。」

オリヴァーが言う。

「何を言っとる。さんざん悪さして、歌陽子を怒らせたのは、あんたじゃろ。自分が蒔いた種は自分で刈り取るか良いわ。」

歌陽子は自由の効くもう一方の腕でオリヴァーの顔を殴りつけようと、拳を無茶苦茶に振り回した。
それを器用によけながら、オリヴァーは、

「マサノリ、少々手荒なことをしても知りませんよ。」

「師匠!」

たまらず声を上げる森一郎。

挙句に、

「ねえちゃん、恥ずかしいことは止めろよ。」

傍観を決め込んでいた宙まで、堪えきれずに輪に加わった。

しかし、老人は、

「わしは知らん。どうとでも好きにするが良い。もし、あんたが歌陽子を張り飛ばしても、この場限りで収めておくから、好きほどやり合うが良いわ。」

「師匠、無茶苦茶ですよ。」

「そうです。マサノリ、無茶苦茶です。カヨコ、いい子だからヤメナサイ。」

「あんたをぶん殴るまでは許さない!」

歌陽子の顔つきが少々変わってきた。
目をぎらつかせ、歯を食いしばって息が上がっている。

オリヴァーは、そんな歌陽子を扱いかねて、空いている方の手で、彼女の額を軽く小突いた。と同時に、掴んでいた手首を離すと、歌陽子は反動で2、3歩よろけて、そのまま無様に尻餅をついた。

「ほ、やりおったわ。」

「ねえちゃん。だから、やめとけって言ったのに。」

オリヴァーは、東大寺老人を気遣わしげに見て言った。

「マサノリ、約束ですよ。歌陽子を殴り倒しても、僕にはオトガメナシですよね。」

「分かっとるわい。じゃが、歌陽子もこれじゃ収まりがつかんじゃろ。もちっと、相手をせえ。」

見れば、歌陽子はもう立ち上がって、胸の前に拳を固め、ファイティングポーズを取っている。やがて、彼らの周りには騒乱に惹かれて人垣が出来始めた。

「マサノリ、もうやめないですか?」

「あまり、乗り気でないようじゃな。じゃあ、こうするかの。オリヴァー、もしあんたがもう一度でも歌陽子を転がすことができたら、あんたの嫁にくれてやる。シンガポールでも、どこでも勝手に連れていくが良い。」

「師匠!本気ですか!」

「そりゃ、あまりに無茶だろ。」

森一郎に続いて、人だかりからも声が飛んだ。

「じゃがの、もし転がるのがあんたの方だったら、もう二度と歌陽子には手を出してはならんぞ。良いかな。」

「ブシニ、ニゴンハ、ナイですね。」

「無論じゃ。」

「ならば、もう手加減はしませんよ。歌陽子、歯が折れるかも知れないから、デンティスト、予約してください。」

「余計なお世話よ!」

そして、オリヴァーも胸の前で拳を構えた。
どうやら、東大寺老人の話にかなり本気になったようだった。

オリヴァーと対峙する歌陽子、キッと彼を睨んで肘を引いて身体をねじった。そして、小さな拳に体重を乗せてオリヴァーに殴りかかった。
人垣からは、そのたびに、

「ああっ」とか「おおっ」とか声が漏れた。
しかし、完全に父親と幼い娘の喧嘩である。
それくらい二人には体格差があった。
歌陽子の渾身・・・のはずの一撃も、上体だけで難なくかわされてしまう。
オリヴァーはかわしながら、ジャブを出して、軽く歌陽子の額や、顎の先を小突いた。
その軽いパンチにすら、彼女は後ろへよろめいた。しかし、決して無様に尻餅をついたりはしない。何しろ、この勝負には彼女の一生がかかっているのだ。
だが、歌陽子の形相が必死になるほど、動きに無駄が多くなり、パンチも大振りになってきた。
そして、完全に息が上がって、段々苦しそうな表情に変わり始めた。
完全にワンサイドゲームである。
なぜ、東大寺老人が、こんな無謀なゲームを始めたか、その場に居合わせた誰もが訝った。これでは、歌陽子はまるでオリヴァーに捧げられた人身御供ではないか。

「カヨコ、ダイジョウブですか?もう、僕の勝ちにしてやめませんか?」

「う・・・、ハアハア、うるさあい、ハアハア。」

「僕が勝ったら、君を今晩にでも僕のスイートに招待しますよ。」

「や、やかましい、ハアハア、このヘンタイ!」

「ヘンタイ?このアジアで僕にそんなことを言ったのは、カヨコ、君が始めてだ、よっ!」

そう言って、少し力をこめたパンチを下から上に放って、歌陽子のみぞおちに食い込ませた。

「ん!グッ!」

お腹を抑え、上体を折り曲げてうずくまる歌陽子。だか、決して膝は折らない。

「ガンバリますね。でも、さっさと終わらせましょうよ。これ以上、苦しむところ見たくないです。」

言葉は優しいが、少し残酷なゲームを楽しむ表情が現れていた。
そして、歌陽子に顔を寄せて、彼女にしか聞こえないように言った。

「それにあまり今テイコウすると、僕、君のことひどくイジメてしまうかも知れません。」

もはや勝利を確信し、オリヴァーは手中の獲物の料理法を漏らした。
さっと、青ざめる歌陽子。
その歌陽子の額を小突いて、2、3歩下がらせると、オリヴァーは二人の間に間合いを取った。
そして、これでもう終わりだとばかり、上から叩きつけるように重いバンチを放った。

この瞬間まで、人垣の誰もが床に這いつくばる歌陽子を想像した。中には短い声を上げるものも何人かいた。

しかし、宙が、

「あ、オリヴァー気をつけて!」と言った。
その声が届かないうちに、歌陽子は体を交わして、目の前を通り過ぎていくオリヴァーの手首を取った。
そして、小柄な身体を回転させ、その運動エネルギーをオリヴァーの身体に連動させた。
その瞬間、オリヴァーの身体は前のめりに宙に舞い、さらに一回転して背中から床に落ちた。

「い、一本!」

思わず、対決を見ていた誰かから声が上がった。

(#84に続く)