成長とは、考え方×情熱×能力#75
焦れる時間
「あなた・・・。」
「ああ、志鶴か。歌陽子の具合はどうだ?」
「そのことなんですが・・・。」
「あと、かなり皿が空いてきたから、そろそろ料理を運んで貰えないか。」
「それが、そのう・・・。」
「どうした。何か言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなさい。」
「それが・・・、歌陽子も、コックも、すべてお義父様が持って行ってしまわれました。」
お義父様、つまり先代のことが出た途端、克徳は渋い顔になった。
「持って行ったとは、一体どう言うことだ?」
「お義父様が連れていかれましたの。」
「またか・・・。」
思わず絶句する克徳。
「で、どこへ?」
「今、裏庭に集まっているようですわ。」
「やれやれ、一体今年は何をするつもりなんだ。」
ため息をついて、克徳はパーティ会場のホールを見渡した。
今、ホールには200人以上の招待客がいた。
ホールには6つの大きなテーブルが置かれ、そこを囲んでの立食パーティの形式だった。
そこで、好きな料理を選んで食べることができ、またテーブル付きのメイドに頼めばきれいに皿に取り分けてくれた。
飲み物も、盆にカクテルグラスを満載した別のメイドたちが、招待客の間を縫って配っていた。
ホールのコーナーでは、ハープとフルート、そしてバイオリンのアンサンブルが演奏をし、ときおりそれにピアノの伴奏が加わった。
また、料理をその場で調理して出せるよう屋台も何組か組んであった。
招待客の内訳は、歌陽子の昔からの学友と、東大寺家に縁のある名士たちであった。
200人と言う参加者は、昨日今日縁のあった一見さんではない。長く東大寺家や歌陽子と深い関係を築いてきた友人や取引先である。その200人に入ることは一種のステータスであり、なんとか手蔓を使って入り込もうと言う人物は毎年少なからずいた。そう、あのオリヴァー・チャンもその一人だった。
200人の殆どは、先代東大寺家正徳の代から関係のある人たちであった。克徳は、あえて自分の代でパーティへの参加者を増やそうとはしなかった。それは、誕生会の主役である娘の歌陽子とビジネスの一線を引きたいと言う父親としての思いなのかも知れない。
だが、それだけ今集まっている招待客は、東大寺家や東大寺グループにとって大切な人たちである。
それなのに、パーティの主役である歌陽子がこの場にいなかったり、次の料理が出せずに皿が殆ど空になった状態は克徳にとってあるまじき事態であった。
裏では父親である先代が動いているらしい。先代にハッキリもの申せるのは自分だけなのに、その自分が場をつなぐためにどうしてもここを離れられない。
克徳にとっては焦れるような時間であった。
「東大寺さん、奥さんも。」
「これは、松木会長。」
声をかけて来たのは、大手電機メーカー会長の松木であった。
「この度は、歌陽子さんのお誕生日おめでとうございます。」
「有難うございます。」
「しかし、早いものですなあ。お嬢さんももう21とは。この間まで小さい女の子だったのに。」
「全くです。」
「ちなみに、お嬢さんは昨年就職をされたそうですな。」
「はい、傘下の三葉ロボテクです。」
「そうですか。それは惜しいことをしました。まさか、東大寺家のご令嬢が一般企業に就職するとは思いませんでした。それが分かっていたら、我が社がポストを開けて待ってましたのに。」
松木の会社は、三葉ロボテクの何十倍も事業規模が大きい。いきなり、そこの重役待遇で迎えると言うのだ。それだけ、松木は東大寺グループと深い関係を結びたがっていた。
「いや、しかし、20そこそこの世間知らずではご迷惑をおかけするだけです。まずは、グループの会社で修行を積ませます。」
「そうですか。私どもはいつでもウェルカムです。その節はよろしくお願いします。」
克徳は東大寺の名前の重さを感じていた。東大寺家のものであると言うだけで、大手企業が20そこそこの小娘を重役待遇すると言う。それは歌陽子が持って生まれた力なのだ。
しかし、当の歌陽子はその力を知ってか知らずか、あえてそんな力が使えない場所に身を置こうとしている。
東大寺家の名前ではなく、素の自分で勝負しようとしている。
我が娘ながら、見上げたものだ。
克徳は、そう我が子を認めざるを得なかった。
(#76に続く)