今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

成長とは、考え方×情熱×能力#71

(写真:天空舞踏会 その2)

移動式厨房

世間でゴールデンウィークと言われるこの時期、東大寺農業ファームは田植の佳境であった。
一口に田んぼと言っても、東大寺農業ファームでは、周囲の農家からの借り上げ分を含めて百反以上を所有している。
それに一斉に水を張り、田植え機を入れて青苗を植えるのだ。
農業ファームの社員20名以上が総出になり、農業塾の塾生たちは彼らのサポートに回った。
社員と言っても、もとは近隣の農家であったり、吸収された農業法人の社員たちである。そのため、地元出身の農業経験者が多く、また世間の定年齢に近い社員が殆どだった。そこに、一度に10数人若い仲間が加わったのだ。
農業ファームの現場は華やいだ雰囲気となり、今年の田植はいつもに増して活気があった。
器用な塾生の中には大型の田植え機を任されるものもいたし、またそれ以外の塾生も青苗の運搬や水の見回り、崩れた畔の補修に飛び回った。
最初は慣れない農作業で、都会育ちの彼らの身体は悲鳴をあげた。朝が異常に早いのもこたえた。女性の塾生の中には人知れず涙を流すものもいたが、それでも誰一人としてここを離れようとするものはいなかった。都会からの難民の彼らにとっては、ここは最後の居場所だったのだ。

その日、環木森一郎は、東大寺老人の農園の手伝いに当たっていた。
農業の専門家でもない、もと経済界の大御所が、自分の農園で講義をすると言う。しかも、口では言わない、見て覚えろと言う。
どんな講義になるかを誰もが訝った。そして老人は、ただ塾生の近況を聞いたり、当たり障りのない世間話をするだけだった。
農業技術は代表の押井から学べた。東大寺農業ファームの社長も兼務の押井は、当然塾生たちに付ききりと言う訳にはいかなかったが、そこは先輩塾生の賀茂川遼子や一緒に働いている農業ファームの社員がフォローしてくれる。
だから、農業のイロハで東大寺老人から学ぶことは何もなかった。
だが、塾生たちは老人の農園に一様に感銘を受けた。
それは丹精という言葉に尽きた。
老人の農園は決して広くはなかったが、そこで育っている野菜や果樹には、彼が込めている丹精の細やかさを感じられた。
どの葉も、どの茎も伸びやかで、自然の恵みを享受していた。野菜や果実本来の力が引き出され、香りも高く滋味も深かった。
日頃、農業ファームの野菜に親しんでいる塾生も、老人の野菜を口にするたびに目を開かれる思いがする。
土の力を知り、それを最大限引き出している農業人が東大寺家先代老人その人だった。

「どうかな、みんな元気でやっているかな?」

「はい、おかげさまで。」

「そろそろ、都会が恋しうならんか?」

「さあ、そんな毒気はかなり抜けた気がします。」

「ほっほ、毒気とは面白いの。」

いつものように、老人の仕事を手伝いながら、森一郎は他愛のない会話をする。

「ところで、師匠。」

「なんじゃな?」

「あんなトラック、前からありましたか?」

東大寺老人の庭には数台の中型トラックが置かれていた。

「ああ、あれは昨日ディーラーが運んで来たのじゃ。雨ざらしは良くないのじゃが、置き場所が決まるまで置いてあるのじゃ。」

「今度はトラックで直接野菜の配送をするのですか?」

「いや、ありゃ、わしの道楽じゃ。まあ、見てみるがよいの。」

そう言って、老人は一旦母屋に姿を消した。そして、トラックのキーが一つにまとめられた鍵束を持ち帰ると、その中の目立つ赤いボタンをトラックの一台に向けて押した。

ガクンとトラックは鈍い振動音を立て、やがて荷台の屋根を真ん中で割って羽のように広げ始めた。

「へえ、ガルウィングですね。」

青年らしく森一郎は、勇壮なトラックの羽ばたきに心惹かれたようだった。
そして羽根が半分以上上がり、トラックの中が見えた時、森一郎は素直に驚きを口にした。

「し、師匠、これってキッチンですよね。それもかなり本格的な。」

「そうじゃよ、あとのトラックに農園で採れたての野菜や米を積み込んで、日本中どこでも出掛けるんじゃ。人が集まるところへ行って、このトラックで農園の野菜を調理して食べてもらうんじゃ。」

「移動レストランですか?」

「まあの。わしはのお、医療の世界でビジネスに長く関わってきたんじゃが、やはりこの歳になって土の力の凄さに気づかされたんじゃよ。土の力が宿った野菜には、やはり力がある。それを一番いい形で味わって貰えれば、食べたもんにも力が宿る。それを一人でも多くの人に体験して貰う。そうしたら、日本人の農、ひいては食に対する考え方も変わるじゃろうて。
ほっほ、気持ちをつかむには、まず胃袋をつかめ。心を満たすには、まず腹を満せと言ったところかの。
いずれわしらの活動が身を結べは、日本人の身も心も満たされて、もっと住みやすい世の中が来るじゃろ。
もっとも、わしはもう老い先短い身じゃから、あとはあんたらが引き継ぐんじゃよ。」

圧倒されたように聞いていた森一郎はやがて口を開いた。

「師匠は、どうもスケールが違うから、とても僕では想像が追いつきません。でも、すごくいいと思います。」

「まあ、年寄りの暇つぶしで終わるかも知れんがの。まずは、今年の秋、収穫が済んだころからボチボチ動かし始める。そして、本番は、来年明けてすぐじゃ。」

「来年に何があるのですか?」

「ん?まあ、偉そうな顔をした連中がたくさん集まるのよ。そこに、このトラックで乗り込むんじゃ。
名付けて、『東大寺式移動厨房』じゃよ。』

(#72に続く)