成長とは、考え方×情熱×能力#68
写真の少女
『さとやま農業塾』代表、押井の挨拶の後、もと塾生、加茂川遼子の説明が1時間以上あった。
『さとやま農業塾』のシステムや、『東大寺農業ファーム』社員としての立場、仕事内容と、正社員登用の流れ、待遇、給与等。
「すいません、質問です。」
「はい、どうぞ。」
「あの、僕らは自由な時間をどれくらい取れるのでしょうか?」
「もちろん、一般の会社のように9時5時と言うわけには行きません。ただ、この仕事には農繁期と農閑期がありますから、あまり自由にならない時期もあれば、結構自由な時期もありますよ。」
「ならば、サークル活動のようなことも可能でしょうか?」
「それも時期によるかな。みなさんは同じ地域から来ていると聞いていますが、やはり何かのお仲間だったんですか?」
「え、ええ、まあ。そんなところです。」
質問者ははっきりと答えなかった。その奥歯にものが挟まったような言い方に、遼子はかすかな不安を覚えたのだった。
そして、遼子の説明の後は、皆で共同生活をする寮へと案内された。古民家を改造した建物で、古びてはいるがログハウス風の落ち着いた作りになっていた。
二人か三人ずつで一部屋をあてがわれ、食事は朝昼晩と食堂に集まってみんなで用意して、みんなで食べる。
ただ、遼子の時は他に塾生がいなかったから、押井や東大寺正徳の家で一緒に食べることが殆どだった。
「あの、東大寺さんのお宅って、凄く大きいんですか?」
知りたがりの女子塾生が遼子に尋ねる。
「え?そんなことないわ。普通のお家よ。」
「だって、凄いお金もちなんでしょ?」
「東京のご自宅はね。でも、あの人、あまりお金には興味ないみたいで。」
「へえ〜っ。」
おどけたように、女子塾生はわざと大袈裟なリアクションをした。
「お孫さんがいらっしゃってね、その子たちのためにお金を使うのが、唯一の楽しみだそうよ。」
「いいなあ、私もそんなおじいさんが欲しい。」
「おい、おい、お金が欲しい人がこんなとこにいたら、そもそも場違いだろ?」
「えへへ、そうでした。」
彼女をたしなめたのは、少し小柄で黒縁メガネをかけた青年。名前を環木森一郎と言う。
おとなしそうな見た目の割に、気の強いところがあって、押井に対していきなり質問を投げかけたのも彼であった。
そして、どうやら塾生の中ではリーダー的な存在のようである。
その彼が寮の中に何枚もの写真が飾られているのに気付いた。
それは少女の写真だった。
一枚は中学生くらい、もう少し大きな高校生くらいの写真が数枚。幼さを残しながら、大人びた雰囲気の写真もあった。そして、よく見ると全て同じ少女の成長の過程を折々でスナップしたものだった。
共通しているのは、同じ人物だと言う点と、スナップのバックがこの村の風景だと言うこと、そして農作業の服を着て、いい色に日焼けしていることと、気持ちの良い笑顔をカメラに向けていること。彼女は少し型遅れの丸いメガネがよく似合っていた。
小柄で、華奢で、たおやかで、そして、健康的な、彼はそんな写真の少女に淡い恋心を抱いたようだった。
これは後日の話であるが、それ以来彼は村の中に写真の女性はいないか、それとなく探すようになった。
ただ、彼女が誰なのかを人に尋ねることはしなかった。これは青年の秘めた恋なのである。
(#69に続く)