成長とは、考え方×情熱×能力#41
先代
その日の昼前、1組の老夫婦が東大寺邸の前に姿を現した。
老爺の年の頃は、もう80に近い。
いかにも田舎から出て来た体で、野良着にもなりそうな粗末な上着とズボンを身につけていた。
側の婦人は、70半ば、派手ではないがそれなりに身なりを整えてしゃんと背筋を伸ばしている。
「おじいさん、そんな薄着で寒くはありませんか?」
「何度も同じことを聞かんでええ。わしは、日頃野良で鍛えとるからこんなくらい寒いうちに入らんよ。」
「もう、年齢を考えてくださいね。」
「分かっとるよ。」
そう言って老爺は、東大寺邸のインターフォンのチャイムを押そうとした。
しかし、それより早く屋敷の門が開いて、東大寺家当主の妻、志鶴が姿を現した。
「お義父様、お義母様、よくお越しくださいました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。」
丁寧に頭を下げる志鶴に、
「ああ、志鶴さん、わざわざ済みませんねえ。こちらこそ、よろしくお願いします。」
老婦人も丁寧に挨拶を返した。
一方、老爺の方は志鶴には軽くうなづいただけで、やたら中を気にしていた。
「お義父様、何か?」
「いや、その、歌陽子はどこじゃ?」
「また、気の早い。」
「じゃが、去年の正月から一度も顔を見ておらんじゃないか。」
「歌陽子お、歌陽子。さ、お祖父様に挨拶なさい。」
志鶴に呼ばれて、その場に控えていた5、6人の使用人の後ろから振り袖姿の歌陽子が顔をだした。
「お祖父様、今年もよろしくお願いいたします。」
「おお、歌陽子、お前一年合わないうちに随分としっかりした顔になったなあ。」
「本当ですね。歌陽子、あなた今年から働いているんですってね。」
少し照れ笑いを浮かべながら歌陽子は、
「そんな、まだ何もできていません。」と答えた。
「そう言えば、お前幾つになった。」
「はい、今月の6日で21です。」
「そうか、早いもんだなあ。」
「あの、お祖父様、成人式には立派な振り袖をありがとうございました。」
「カカカ、なんの、たった300万ぽっちだ。気にせんでええ。」
「おじいさん、300万ぽっちって、人が聞いたらおかしく思いますよ。」
「ばあさん、歌陽子のためじゃ。ちっとも高くはありはせん。」
「あの・・・。」
少し気後れしながら歌陽子が口を開いた。
「成人式の写真、見ていただけました?」
「ああ、村に来る時とはまるで別人じゃった。ばあさんとずっと一年間写真を見て過ごしておったわ。」
「去年は一度も行けなくてごめんなさい。」
「いい、いい、歌陽子なりに一生懸命やっておるんじゃ。じゃが、同じ就職するなら、うちの村にすれば良かったんじゃ。そうしたら、ずっと一緒に米だの野菜だのを作れたのにのお。」
「はは・・・。」
母親が引きつった笑いを浮かべたのを敏感に感じ取った歌陽子は、思わずごまかし笑いを漏らした。
「さ、宙(そら)もご挨拶なさい。」
志鶴に促されて前に出たのは、まだ中学生くらいの少年。
チェック柄の青いシャツの裾をだらしなくデニムのズボンから垂らした、いかにも生意気ざかりの中学生。
彼は歌陽子の6つ年下の弟の宙だった。
宙は、手をポケットから出すこともせず、面倒臭そうに祖父母に挨拶をした。
「じいちゃん、ばあちゃん、おめでと。」
「これ、宙。」
志鶴は宙をたしなめた。
先代当主である祖父の前では、「あけましておめでとう」はご法度なのだ。
今年、自分が死ぬ年かも知れぬ。なのに、「おめでとう」はおかしいと父克徳も母志鶴もずっと聞かされていた。
しかし、先代はあまり気にも止めずに、
「ああ、おめでと。」とだけ返した。
だが、今しがたの歌陽子に対する猫可愛がり方とは明らかに差があった。
宙は、それが気に入らないのか、口を尖らせてわかりやすく不満を顔に表した。
「おじいさん、もっと何か声をかけないと。宙だって大事な孫ですよ。」
「じゃが、わしはこの坊主がどうも苦手なんじゃ。」
「おじいさん。」
しかし、二人の会話など関心ないと言わんばかりに、宙は踵を返して、スタスタと屋敷の中に入ってしまった。
(#42に続く)