成長とは、考え方×情熱×能力#40
血族
「お義父さんたちは、何時に来られるのだい?」
新年朝の食卓で父克徳が、母志鶴に尋ねた。
お義父さんとは、つまり歌陽子の母方の祖父母のことである。
「お昼になるそうです。」
「そうか、おそらく先代と、お袋もそれくらいになるだろうから、一緒に食事をしたら良いな。」
先代とは、克徳の父親で先代当主のことである。
今は、当主の立場を息子の克徳に譲って、富士山の麓で悠々自適の晴耕雨読の生活を送っている。
山奥の過疎化した村に土地を買って、10年前から農業を始めた。先代の妻、喜代も主人と一緒に農村に同化して、いまやすっかり農家の夫婦である。
野良着を着て、よく似合う麦わら帽の下からカカカと笑う日に焼けた好々爺が、東大寺の先代当主と聞かされても知らない人間は誰も信じないだろう。
東大寺グループの医療界における今の地位を築いたのは彼だった。その意味では現代における巨人の一人に数えられてよい人物だが、彼は常々一農夫として墓碑に刻まれたいと言っていた。
歌陽子は、毎年農繁期には祖父の村を訪ねて農業の手伝いをした。その時は、ティーシャツに、腰丈のチュニックをキュッと結んで、ジーパンを履いたどこから見ても農家の娘だった。
歌陽子は、真っ黒に日焼けた野良姿の自分を母親に写メしたが、必ず「お前は東大寺の娘として恥ずかしくないように振る舞わなければなりません」と小言が返った。
娘に農家の手伝いをさせる先代にはあからさまに文句を言えないから、歌陽子にそれとなく伝えているだけである。
もちろん、歌陽子はそれには気づいても気づかないふりをしていた。
「歌陽子、お前、先代のところへいつから行っていない?」
父克徳の問いに、
「はい、あの、去年は一度も。短大卒業後は、就職のことでそれどころではありませんでしたし、農繁期にも休みは取れませんでしたし。」
「だろうな。お前が去年就職して農家どころでなくなったと伝えたら、『どうせなら何故ワシのところに寄こさん』とたいへんな剣幕だったぞ。」
それに対して、志鶴はかなり真剣に異議を唱えた。
「それは困ります。歌陽子は人一倍同化しやすいのですから、そのまま地元の青年団と結婚して定在しかねません。」
(そっか、その道もあったか。)
ふと、そんなことを考えて遠い目をした歌陽子を志鶴は見逃さず、すかさず、
「歌陽子、おかしな妄想はおやめなさい。」とピシリとたしなめた。
「まったくあなたも、お義父様も、歌陽子のやりたいようにやらせ過ぎです。お友達はまだ学業に励んでいるのに、会社員の真似事なんかさせて。」
「いや、会社員も立派な勉強だ。何も大学に通って立派な学位を貰うばかりが偉いんじゃない。それに・・・。」
「それに、なんですか?」
「歌陽子は、宙と違ってあまり勉強は得意ではない。」
「お父様!」
持ち上げられたり、落とされたりで、歌陽子から文句の一つも出る。
「あ、すまん。」
「もう!」
「それより、せっかく雑煮が冷めてしまうぞ。」
「あ・・・はい、いただきます。」
「いただきます。」
志鶴も続いた。
「ほら、宙も言いなさい。」
「え、俺、いいよお。」
東大寺家と言えど、元旦の朝の食卓ではめいめいの一膳の雑煮と屠蘇だけがのっていた。
ただ雑煮と言う名前に反して、艶めくイクラと根菜の入った一流料理人による一品だった。
克徳は給仕を終えて控えているメイドやハウスキーパーの安希子にも声をかけた。
「さ、みんなも席につきなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
彼女たちも席について食前の合掌をした。
「いただきます。」
「いただきます。」
食事は使用人も同じテーブルで取るのが東大寺流である。
「お餅おいしい。」
「昨日、先代から届いたのだ。」
先代当主はすっかり農の人である。
(#41に続く)