成長とは、考え方×情熱×能力#37
除夜
「まあ、嬢ちゃんと、・・・おつきも入んねえ。」
前田町が、ツキヨと、歌陽子(かよこ)、そして安希子を中に招いた。
「おつきって誰ですか?」
安希子が突っ込みを入れた。
「あんたに決まってるでしょ。使用人なんだから。」
ツキヨの答えに、
「違いますよ。確かに私は東大寺家に雇われていますが、そんな下僕のような立場ではありません。」
「じゃあ、メイド?」
「そんな下世話なものでもありません。」
「あ〜、めんどくさいなあ。」
付き合い切れず、ツキヨは一方的に話を切ってしまった。
「ねえ、お嬢様、おつきですって。」
今度は歌陽子に絡み始める。
「ま、まあ、安希子さん、あんまりそこは気にしても。」
「だって、腹立つじゃありませんか。私の方がお嬢様より下に見られたんですよ。」
ホント、めんどくさい人。
「よお、ツキヨ、久しぶりだなあ。あれ、カヨも一緒かよ。」
作業場横の休憩所に明かりが灯り、そこから野田平が顔を出した。
「野田ちゃん、お久しぶりい。会いたかったあ。」
「お、おう。それより、カヨの後ろのシュッとしたねえちゃん、誰だ?」
「ああ、なんか、あの子んちのメイドさんらしいよ。」
野田平とツキヨの会話を聞き咎めて安希子が文句を言った。
「私はメイドではありません。」
「まあ、どうでもいいや。中へ入んな。」
その間に、前田町は中に入って、女子3人の座る場所を確保した。
休憩室だから、畳も敷いてあるし、布団を敷いて休めるようにもなっている。
遅くまで作業していた技術者が、そのままゴロンと横になる所為か、油の匂いが畳に染み付いている。畳はよく拭かれて不潔ではないが、安希子はその匂いに抵抗感があってなかなか腰を下ろしかねていた。
もう油の匂いに慣れている歌陽子はもちろん、前田町の娘のツキヨも何のためらいもなく腰を下ろしたのに、安希子だけがひとり立ちんぼを続けていた。
「なんだ、メイドのねえちゃん、座らねえのか?」
「私はメイドではありません。」
都度、野田平に言い返す安希子。
「あの、安希子さん、みなさんが気を使われるから座らせて貰いましょう。」
歌陽子が周りに気を使って安希子に声をかける。
「わ、私はこのままで良いです。」
「汚くないから。ほら、私の服も汚れてないでしょ。」
「私は、お嬢様のように無神経ではありません。」
「へえ、このメイドさん言うじゃねえか。なんか、カヨよりよっぽどお嬢様らしいや。」
「私はメイドではありません!」
キリがない。
「それより、ねえちゃん、何抱えてんだ?」
安希子に代わって歌陽子が答える。
「あ、これ。みなさんに差し入れです。その・・・ずっとお仕事されていると思ってましたから。安希子さん、あとは私がするから、もう帰っても良くてよ。」
「お嬢様、私が今帰れるわけないじゃないですか。だいたい、交通手段はどうするんですか?」
「そっか、あ、ポルシェ使ってもいいよ。私はなんとかするから。」
「ダメです。私が奥様に叱られます。」
「だって、辛そうだし。」
「だから、ほっといてください。」
その会話を聞きながら、野田平がボソッと。
「めんどくせえ、ねえちゃんだなあ。」
「でしょ。私もさっきそう思ったの。」
ヒソヒソと野田平と会話をするツキヨ。
そのとき、ふと前田町がしみじみと言った。
「まあ、聞きねえ。心洗われるじゃねえか。」
ゴーン・・・ゴーン。
気がつけば、ずっとさっきから除夜の鐘が鳴り響いていた。
「なあ、嬢ちゃん、なんで除夜の鐘は108つ付くか知ってるか?」
「はい、人間の煩悩の数ですよね。」
「そうだ。欲深な心、腹立つ心、妬み嫉みの心、人を疑ったり、自惚れたり、曲がった見方をしたり・・・、書いて字のごとく、煩わせ悩ませるだ。それが全部で108つもある。そんなんで、今年も一年、泣いたり笑ったり、怒ったり、大変だったろ?嬢ちゃん。」
「はい・・・、ですね。」
確かに今年はいろんな事があったなあ。
いっぱい怒られて、いっぱい失敗して、・・でもとりあえずここにいる。
「除夜の鐘はよ、そんな108の煩悩にまみれた一年を清めて、また新しい年も頑張ろうって願ってつくのよ。な、ツキヨ。」
「うん、今年もいろいろあったけど、除夜の鐘を聞きながら三人に思い切り愚痴を聞いて貰うと、なんかスッキリして、また一年頑張ろうって気になるのよ。
だから、ここが私の除夜の鐘。」
ああ、それで。
歌陽子は急に腑に落ちた顔をした。
だから、三人は毎年ここで年越しをして、ツキヨの来るのを待っていたんだ。
なのに、私ったら、ツキヨさんの外見だけで判断して「おかしなことをしたら許しません」なんて言ってしまって、悪いことしたなあ。
「ちなみに、私の本名は、日向子。日に向かう子って書くの。」
ツキヨが自分の名前を明かした。
「えっ、ツキヨは?」
「ああ、それ?それは源氏名。だって、夜の女が日向子じゃ、おかしいでしょ。」
「でも、実のお父さんに源氏名で呼ばれるのは、かなりへんな気がしません?」
「ううん、本名だとなんか湿っぽくなるから、ここじゃキャバ嬢のツキヨなのよ。」
へえ〜っ。
歌陽子は感心した。
いろんな親子の形があるものだ。
歌陽子と父克徳の形。
泰造と日登美父の形。
野田平と母親の形。
そして、ツキヨこと、日向子と前田町の形。
キャバ嬢の世界に身を置く娘をそのまま受け入れ、源氏名で呼んで支えている、そんな前田町の生き方が不思議だったし、新鮮でもあった。
そのとき、不意に歓声がシンミリした雰囲気を破った。
「う、うおー、なんだこの豪華なおせちは。キャビアに、トリュフにフォアグラだとお。ふざけんな!う、うわあ、なんだ、この高級酒は!龍泉に出羽桜だとお、噂にしか聞いたことがねえ!」
野田平が勝手に歌陽子の差し入れを物色して、その中身にいちいち歓声をあげているのだ。
ああ、この人の五欲は除夜の鐘くらいじゃビクともしないわね。
(#38に続く)