成長とは、考え方×情熱×能力#26
父娘
歌陽子(かよこ)の父親は、公私はしっかり切り分け、娘や妻の前で仕事の顔は滅多に見せない。
もちろん、仕事を持ち帰ることが無いわけではないが、それは必ず書斎で行い、家族の前では常に柔和な父親の顔をしていた。
しかし、たまに父親に同行して経済界の会合に参加した時、時折彼の目は鋭い光を放つことがあった。
そんな時、会合の相手はみな射すくめられたように縮み上がった。
一瞬の緊張の後、父親はまた柔和な表情に戻るのだが、相手との間に生まれた冷ややかな空気は容易には去りはしなかった。
そして、いつも歌陽子は、父、東大寺克徳の素の顔を見る思いがした。
夜遅く、アケミに送られた歌陽子を、玄関横の通用口から出迎えた克徳は、この時もそんな目をしていた。
その鋭い光に射すくめられ、さすがのアケミも後ずさった。
「あ、あの・・・、あんたがこの子の父親?」
「はい・・・そうですが。」
丁寧な言葉なのに、抗いがたい力を込めた一言一言をアケミにゆっくりと投げかける。
「ちゃんと送って来たからね。問題ないだろ?」
「それは・・・。」
そこで言葉を区切って、克徳はゆっくりと頭を下げた。
「まことにお手数をおかけしました。」
「は、じゃ、じゃあ、カヨコ、またな。」
克徳の威圧感に押されるように、アケミはその場を離れようとした。
そこに、克徳の低い声が響いた。
「お待ちなさい。」
「な、なんだい。」
「うちの不肖の娘が世話になりました。本来ならば、我が家にお招きしてお礼をしなければならないところ、夜分につきお引き止めする訳にも参りません。お礼は改めてまたいたしたいと思いますが、構わないでしょうか。」
「い、いいって、そんなこと・・・。」
一刻も早くその場を離れたいアケミ。
その時、克徳の強い言葉が響いた。
「歌陽子!」
「は、はい!」
電流を流されたように緊張した返事を返す歌陽子。
「何をしている。お前からも、よくお礼を申し上げなさい。東大寺のものは恩を受けても礼の一つも言えないと言われたらどうする。」
怖い、滅多に見せない怖い父親の顔。
「は、はい。アケミさん、あ、ありがとうございました。」
父親の叱責に弾かれるように歌陽子は頭を下げた。
「さあ、お前は仏間で待っていなさい。少し話さねばならないことがある。」
冷ややかな父親の言葉に、歌陽子は背中に氷の塊を入れられたように感じながら、すごすごと通用口から家に入った。
通用口の向こうの父親は、去って行くアケミに深々と礼をしていた。
いつまでも。
一方、家の仏間に膝を揃えてまんじりともせずに正座した歌陽子は、とても生きた心地がしなかった。
仏間といってもゆうに100畳はある。法事の時はここに親戚一同や関係者100人以上が入ることができる。
しかし、子供の頃の歌陽子にとってここは恐ろしい場所だった。
甘やかされて育った歌陽子が父親や家族から唯一厳しい叱責を受けるのがこの仏間だった。
やがて、ひたひたと廊下の向こうから父親の足音がする。
歌陽子は、父親からどんなに叱られるかと生きた心地がしなかった。
ドンと、お腹の中に大きなしこりを抱えたような気持ち、誰もが激しく緊張すると感じるそんな気持ちが、いまの歌陽子の心だった。
やがて、ゆっくりと姿を現した父、克徳。
歌陽子の向かい側に、ピッと背筋を伸ばして正座した。
その威圧感は、歌陽子も久しく経験しないものだった。
その空気に耐えかねた歌陽子は、いきなり頭を畳に擦り付け悲鳴のように声を出した。
「お、お父様、ご、ゴメンナサイ。」
(#27に続く)