成長とは、考え方×情熱×能力#6
笑顔
「お母様ですか?」
「ああ。」
「ならば、起こしては悪いから向こうで待ちましょうよ。」
「いいや、ここで待つ。」
「なら、私、向こうに行っていますね。」
「お前もここにいろ。」
え?
「なら、荷物を下ろさせてください。手が痛くなってきました。」
「そんなもん、その辺に置いておけ。」
それから、無口になった野田平と歌陽子(かよこ)の二人は、彼の母親が目覚めるまでの小1時間をそのまま待った。
やがて、少し顔をしかめて母親はうっすらと目を開いた。
彼女は、どんな夢を見ていたのだろう。
若い頃の楽しかった思い出だろうか。
しかし、目を覚ませば辛い現実と向き合わねばならない。
動くたびに軋みをあげる身体、一人施設で暮らさなくてはならない孤独、自分の排泄ですら思うに任せない情けなさ。そして、薄もやがかかったように一向定まらない記憶。
だが、今日は誰かが訪ねてきてくれたようだ。辛い現実も少しは気が紛れるかも知れない。
「はああ、すっかり寝てしまった。あ・・・、どちらさん?」
「僕だよ、正徳だよ。」
僕・・・?
「ああ、正徳か。どうしたんだい。今日は大学はいいのかい?」
大学う?
『大学』の単語に反応した歌陽子が野田平に小声で聞き返した。
「野田平さん・・・大学ってどういう・・・意味ですか!」
「うるせえ・・・グズ・・・お前余計なことを・・・言うんじゃねえぞ。」
野田平も小声で答える。
「お袋はな・・・前から記憶がグジャグジャになって・・・いつの間にか俺のことを大学教授をやっていると思い込んでるんだ。いいじゃねえか・・・年寄りが勝手に妄想することだ。いい夢・・・見せとこうじゃねえか。」
「わ・・・分かりました。ならば、そう言うことで。」
そして、今度は母親が歌陽子に気がついた。
「随分若い子だね。助手さん?」
「あ、彼女は僕のゼミの学生でね、母さんみたいな施設にお世話になっている人を楽にするロボットを研究しているんだ。」
「そう、立派な研究ね。あなた・・・。」
「は、はい。」
母親に呼びかけられた歌陽子は思わず返事をした。
「でも、私機械に世話して貰うのなんて嫌だよ。お友達なんか、一杯身体中に線やチューブを付けられてウンウン言って死んだんだよ。」
「それは・・・。」
思わず歌陽子は絶句した。
そう、高齢者にとって機械に世話して貰うのはそんなイメージなんだ。
「母さん、違うよ。この子が研究しているのはそんな機械じゃない。母さんは職員さんにお世話して貰うと安心だけど、恥ずかしい思いや情けない思いをすることがあるだろ。でも機械ならそんな心配は要らないし、それに夜も眠らないからいつでも気兼ねなく助けて貰えるんだよ。」
「そう、お前がそう言うなら間違いないね。お前はいつでもよく出来たからね。」
野田平に説明を受け、母親は少し安堵の表情を浮かべた。
その野田平に歌陽子はすっかり感心したように話しかけた。
「へえ、お母様の野田平さんに対する信頼って凄いですね。」
「まあな、少しは俺を見習いな。なにしろ、俺はお前のようなロクデナシと違って、学校でもいつも一番だったんだからな。」
ああ、そうですか。褒めて損した。
「でも、あなた可愛らしい顔してる。今の若い人は整った顔をしているけど、なんか、私には怖くてね。」
「・・・つまり愛嬌のある顔だってことだ。」
隣で野田平がボソッと言った。
それって褒めてるの?
でも、歌陽子は満面に笑顔を作って彼女に笑いかけた。
「お前でもそんな顔をするのか」とばかりに野田平が少し驚いてそれを見返していた。
そして、歌陽子の笑顔につられて、野田平の母親も笑い返す。
しわだらけの顔がさらにクシャッとなって、とても愛くるしい笑顔になった。
それを見てさらに歌陽子が笑顔を作る。
母親にとって、久しぶりに幸せな時間が流れようとしていた。
(#7に続く)