今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

嫌いな訳は自分の都合、だから理由がいる

(写真:しじみちょう)

嫌いは誰の都合?

人間には、合う人、合わない人があり、どうしても好き嫌いができます。
皆んなが好きと言っても、どうも自分は苦手と言う人はありますし、皆んながちょっとと言う人も、自分とは妙にウマが合うことがあります。
そもそも好き嫌いは理屈ではありません。
男女にしても、皆んなが皆んなイケメンや美女に群がったら、結婚できる男女はごくごく限られるでしょう。そうなっていないのは、「面々の楊貴妃」で人それぞれで好みがうまく分散されているからです。
しかし、個人的な都合で好いたり、嫌ったりしている面も否定はできません。

自分の都合に振り回される

「今日褒めて、明日悪く言う人の口、泣くも笑うもウソの世の中」と言われます。
世の中の報道でも、業績が良かったり、人気があったり、力がある時は、口を極めて褒めそやします。言われている方が恥ずかしくならないのかと思える程です。
それが少し調子を落とすと、まさにボロクソで、とても同じ口で言っているとは思えません。
力のあるうちは、褒めておけばおこぼれにあずかれると思うから擦り寄ろうとします。しかし、評価を落とせば、側にいて巻き込まれたら自分までツマランものに思われはしないかと離れよう離れようとします。
つまり、誰しも自分の都合基準で、相手の真価や偉さを評価をしてのことではないのです。
ですから、「人の言うことはあまり気にしても仕方ないですよ。所詮は、自分の都合に振り回されている人ばかりですから、相手の評価と自分の価値は関係ないですよ」と言われるのです。

嫌いな訳

そう考えると、自分の好き嫌いの基準などまことにいい加減で、例えば、ちょっと嫌なことを言われたからとか、逆に良い目を見せて貰ったからとか、簡単な理由でコロコロ変わっています。
だから、少し人に対する不満を漏らそうものなら、「ちょっと、それ見方が偏っていない」とすぐローカルな炎上が始まります。
それはそうです。
自分の都合で嫌っているだけだから、人から見たら理解できませんし、それを口にする自分は「情けない、自分勝手なヤツ」に映るのでしょう。
しかも、つまらない理由で相手を嫌っている自分を正当化するのに、一生懸命理由を探しています。
それこそ、顔が嫌いとか、声が嫌いとか、言い方が嫌いとか、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に、嫌う理由を探して勝手に強化していくのです。

嫌っている時間を活かす

しかし、「嫌い、嫌い」「憎い、憎い」と自分の中で反芻して、結果自分の心をすさませているのは、結構なエネルギーの消耗です。
しかも、人に言えない情けない理由(一度自分の至らないところを指摘されたとか)で相手を嫌っていたりすると、その嫌いの理由を自分自身がそのまま受け入れることができないので、正当化のためにいろいろと理由を探さなくてはなりません。
それやこれやでたいへんな時間とエネルギーを消耗しているとしたら、とんでもない無駄ですよね。
そもそも嫌いなのは、自分が相手に負い目を感じているからで、相手を否定して貶めれば、それだけ自分が浮いた気分になります。
つまりは、自分の優越感を保ちたい心が根底にあります。
しかし、いくら相手を心で貶めても、もちらんそれで相手がダメになるわけでも、自分が偉くなれるわけでもありません。
むしろ、そんなことに時間を使っている間に不断に努力し続けている相手との差はますます開いてしまいます。
こんな負のスパイラルから抜け出す方法はただ一つ、自分の心に負けないように相手の姿を正しく見て、素晴らしいところがあればむしろ親近することです。
自分自身の心に逆らうのは簡単ではありませんが、幸せで豊かに生きるために向上することですから、なんとしても頑張りたいものです。