今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#4

(写真:黄金の森)

フライハイ

突然、窓の外からバラバラバラと轟音が響いてきた。
ビリビリビリ、立て付けの悪い開発部第5課の窓が震える。
歌陽子(かよこ)が窓から外を見ると、本館の上を大きなヘリコプターがホバリングをしていた。

ヘリポートなんかないのに、無茶苦茶だよ。

「村方さん、ダメです。ヘリなんか下ろしたら屋上が抜けます。」

電話の向こうから村方の声がした。

「お嬢様、もっと屋上に近づけますから、そちらから乗り込んでください。」

「飛んでいるヘリコプターにどうやって乗るんですか?縄ばしごなんて絶対無理ですよ。」

「大丈夫、皆さんと屋上に来てください。」

ガチャ。
あ、切られた。

歌陽子は困り果てて三人の方を振り向いた。

「えっ・・と、どうしましょう?」

「まあ、来いって言うんだから行こうじゃねえか。」

こんな時の前田町は憎らしいほど落ち着いている。

「野田平さんと日登美さんは?」

「ばあか、だからお前はいつまで経ってもウダツが上がらねえんだ。こんな面白いもん、今度いつ乗れるってんだ。」

「はあ・・・。」

そして、東大寺歌陽子と野田平、前田町、日登美の4名は5分後、会社の本館ビルの屋上にいた。
屋上の上、約10メートルで機体をまっすぐにしてホバリングしている大型ヘリコプターの起こす風圧が凄くて、歌陽子は左手で髪を、右手でスカートを必死で押さえていた。
それに対して、三人の技術者たちは、ヘリコプターの真下で散々髪が乱れるのも、白衣や作業着の裾がはためくのも構わず、嬉しそうに見上げている。
そのうちに、ヘリコプターの中央の床板がズレてパックリと穴が開いた。そして、そこから、人が一人座れる椅子型のゴンドラがそろそろと降りて来た。

「うわあ、すげえ。」

野田平はすっかりはしゃいでゴンドラに乗り込んだ。そして、上に向かって「早く引きあげろ!」と怒鳴った。
それに対して上からは、「ダメですよ。ちゃんとベルトを締めてください。」と小言が降りてきた。
やがて、ウィーンと言うワイヤーを巻き上げる音とともに野田平はゴンドラと一緒に宙に浮いた。

「ウォー!気持ちいい!」

すっかり子供の反応だ。
その後は前田町、相変わらずの仏頂面だが、ゴンドラに吊られて行く時、口の端がピクピク動いていて明らかに楽しくてしょうがない様子が現れていた。
そして、滅多に声を張り上げない日登美も、「ワーッ、ウワーッ」と奇声を上げていた。
さて、最後は歌陽子だったが、高所恐怖症の彼女は屋上の上からさらに10メートルも吊り下げられるなんて、想像しただけで足がすくんだ。
しかし、自分だけ置いてけぼりは困るので、目の前のゴンドラに腰を沈めて、ゲージにしっかりつかまって目を閉じた。

あ、浮いてる。浮いてる。

足元が冷え込むような高所恐怖症特有の感覚を味わいながらワイヤーを巻き上げられている内に、突風でガクンとゴンドラが揺れた。

「キャー!!」

まるでジェットコースターで逆落としになる女子のような声をあげて、歌陽子はさらにしっかりゲージにしがみついた。
思わず涙目を開けてみると、青空の下、街がずっと向こうまで見渡せた。
あの空の青と交わっている彼方の藍色は、海だ!
海がこんなに近かったなんて!
まるで空を飛んでいるような開放感に、怖いのも忘れてグルリと周りを見渡してみた。
すると、本館の下に人だかりができて、歌陽子を指差して何か言っている。

ああ、最悪。

やがて、ゴンドラごとヘリコプターに引き上げられた歌陽子は、小刻みに震える脚を励ましてやっとやっとゴンドラから這い出した。
見ると、ヘリコプターの中には応接が設えてあり、すでに乗り込んだ3人を相手に村方がウィスキーをロックで勧めていた。

ウィスキーを一口含んだ前田町が、「うめえ」と喉から絞り出すように言うと、村方が「喜んで貰えて何よりです」と応じた。

「なあ、あんた、いつもこんなたいそうなもんで飛び回ってんのか?」

「まさかあ、これは代表名義の特別機ですよ。そう簡単には借りられません。」

「へえ、じゃあどうしたんだ?」

「でも、歌陽子お嬢様のお名前を出せば一発です。」

「へえ〜っ!」

と、頓狂な声を出したのは野田平。

「コーヒー・・・いや、おたくのとこのお嬢様はすげえ権力を持っているんだな。」

権力って・・・。

村方には、それとなく3人の人柄は伝えてある。かなり性格には難ありだが、腕は一流であること。

「そんなわけで、東大寺グループの大切な方ですから、お手柔らかに頼みます。また、体調を崩されでもしたら、今度こそ本当に社長の首が飛びます。」

口調は優しいが言葉の外に3人に自省を促していた。しかし、彼らは一向にそれに頓着する様子はない。
眉間にしわを寄せている村方に、歌陽子は一生懸命三人のことを取りなそうとした。

「村方さん、この人たち口は悪いけど、今はとても私を助けてくれるんです。」

その声に村方は歌陽子の方を振り返った。

「お、お嬢様、危ないですから席に腰掛けてください。」

その時、ホバリングから機首を転回したヘリコプターは、ガクンと揺れた。

「あ、あっ!」

「ほら、危ない!」

揺れにバランスを崩しかけた歌陽子を村方が支えた。

「ちゃんと座っていてください。」

「は、はい。」

でも、そもそも私がこんな怖い思いをするのは誰の所為?

「あの、村方さん。」

「なんでしょう?」

「私、むしろあなたに怒っています。」

「とおっしゃると?」

「だいたい、どうしてヘリポートもないのに、こんな大きなヘリコプターを飛ばしてくるんですか?それに、さっき皆んなこっちを見てましたよ。
明日からどんな顔して出社すればいいんですか?」

「まあ、落ち着いてください。お嬢様はりんごジュースで良いですか。」

「もう!子供扱いしないでください。私もウィスキーを貰います。」

「はい、分かりました。でも、皆さんたいへん喜んでおられるようです。歌陽子お嬢様もどうかおくつろぎください。このヘリは歌陽子お嬢様のために借りたんですから。」

いつの間にか陽の光には赤い色が混じり始めていた。
ヘリコプターは、黄金に輝く太陽を追いかけて、湾岸線から沖へと進路を変えた。

「どうです。ここの夕日も素晴らしいでしょ。」

歌陽子は、子供の頃から世界中のいろんな絶景とそこにしずむ夕日を目にして来たが、目の前に広がる黄金色の景色もまた歌陽子の心をグッと掴んだ。
眼下いっぱいに広がる水平線と、黄金色の光をいっぱいに浴びて照り返す青い波、そして白波を立てる船舶や白い帆のヨット。
ヘリコプターが旋回し、沖から陸地へと機首を向けると、観光スポットになっている白い大きな吊り橋と、はるか向こう側には赤い頂が見えた。
富士山だあ。

村方に腹をたてかけた歌陽子も、今はそんなことをすっかり忘れて上空からの眺めに見とれていた。

(#5に続く)