今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

反省もほどほどに

(写真:緑生、紅生)

反省は大切、されど

叱られたり、ダメ出しを受けたり、反発が上がったりすると、「自分は何をしているんだろうか」と落ち込み自信がなくなります。
動物なら叩かれたらキャンとかニャーとか鳴いて逃げ出すだけですが、人間は「なぜ叩かれたのだろう」「二度と叩かれないためにはどうしたら良いのだろう」と考えます。
つまり、原因を反省をして、二度と不快な思いをしなくて良いように対策をします。
この反省はとても大切で、これで人類が進歩してきたと言っても過言ではありません。
なぜなら、人間は間違って痛い目を見て、そこを矯正されながら真っ直ぐ進むものだからです。
いわば、幅のある道を、左に逸れては左側のガードレールに弾き返されて軌道修正され、今度は反動で右に逸れては右のガードレールで弾かれる。曲がってはぶつかり、その度に矯正されておおまかに真っ直ぐ進んでいくのです。
これは、私たちの人生も、会社経営も、政治体制や思想ですらそうです。
しかし、その反省も正しくしなければなりません。

反省し過ぎにご用心

そもそも反省とは、自分の足りないところを自覚し、そこを正すためにするものです。
反省の前には、厳しい叱責や辛いダメ出しがあるでしょう。
そうすると、私たちの心はいずれかに動きます。
一、私たちにダメ出しをした人物を恨み憎み、反対にダメ出しをする。
「なんだ、あいつ全く分かってなんかいやしない。」
これは、全く反省に結びつかないので論外です。
二、ダメ出しを受けたところを把握して、そこを治すにはどうしたら良いか考える。
つまり、ダメ出しは部分的であり、一時的であり、だから努力で治すことができると考えます。一番健全な叱られ方ですね。
三、ダメ出しを受けるのは、自分がダメだからだと落ちこんでしまう。
私たちが人にダメ出しをする時、決してその人自身を否定している訳では有りません。気になることの一つ二つ、ほんの一部分の修正を求めたのに、もう身も蓋もないように落ち込まれてはかないません。
しかし、うぬぼれ強い私たちは、いつも完璧な自分の幻想を持っています。それがあるから人から少しダメ出しを受けると、「完璧じゃない私」=「生きている意味のない私」とまで落ち込んでしまうのでしょうね。

功罪半ばするのが人間

人間には100パーセント完璧な人もなければ、また100パーセントダメな人も存在しません。
必ず、誰でも良いところと悪いところが相半ばしているものです。いわば、人間とは功罪が半ばした存在です。
それを自分を完璧な人間のように思ったり、まるでダメな人間のように思うのは、正しい人間の姿から外れているのです。
こんな話があります。
ある男が、波打ち際でスッカリうなだれていました。
それを見たキツネが男に近づき尋ねました。

「どうして、そんなに悲しそうな顔をしているのですか?」

男はうなだれた顔を上げキツネに答えました。

「自分はずっとここで波を数えていたのだが、途中でいくつまで数えたか分からなくなってしまったんだ。」

キツネは励ますように言いました。

「波がなくなってしまう訳じゃない。昨日や今日と同じように明日も明後日も打ち寄せんるんだから、また一から数えたら良いじゃありませんか?」

しかし、男は決してそれからうなだれたこうべを上げようとはしませんでした。
これはイソップ童話の「波を数える男」と言う話です。
男にとって波を数え続けるのはは完璧な自分。一回でも波を数え損なったら、ダメな自分。全てはオジャンです。

罪のみ反省すれば良い

でも、本当はキツネの言うように、「波がなくなってしまう訳じゃない」のです。
いくらでも、どこからでもやり直せるのに、男にはそれが分からないのでしょうね。
この波を数える男は、まるで必死に失敗しないように汲々としている私たちの姿です。
そして、
「遅刻をした」
「期限が守れなかった」
「忘れ物をしてした」
「失敗を叱られた」等、
一度小さな波を数え損なったら、たちまち身も蓋もなくなります。
中には自殺をする人まで現れます。
しかし、ガードレールの間を転がるように、右と左で矯正されて初めて真っ直ぐ進めるのが私たちです。矯正を恐れたら、真っ直ぐはおろか、転がることさえ出来なくなります。
今指摘されダメ出しを受け、叱責されているのは、私の中のほんの一部の小さな瑕疵です。それさえ直せば、また真っ直ぐに歩き始めることができます。
確かに、私たちは功罪のある存在ですが、罪があっても私自身を否定する必要はありません。なぜなら、私を丸ごと否定したら、功の部分まで否定しなければならないからです。
悪いのは罪だけです。しかも、今一時的にダメなだけかも知れない。
だから、勇気を出して罪だけをしっかりと見つめそこを直せば、あとは功だけの自分が残ります。
もちろん、それで完璧と自惚れてはなりませんが、また勇気を出して進めるでしょう。
反省は大事ですが、反省すべき対象を間違えてはならない、反省もほどほどが大切と言う話です。