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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人の言うことを聞きすぎて、身動きが取れぬ

(写真:つがい)

ロバと親子

イソップの『ロバを担いだ親子』の話。

息子「おっとう、もうパンを焼く小麦粉がないだよ。」

親父「じゃあ、小麦粉を買ってくれば良いだろ。」

息子「その小麦粉を買うお金がないんだって。」

親父「馬鹿者、そうならそうと最初から言わんか。ならば、いつものように家のものを売ってこい。」

息子「もう、どこに売るもんが残っているのさ。タンスもタンスの中身も、みんな売ってしまったし、服だって今着ているものだけだろ?」

親父「じゃあ、納屋を見てこい。なんかあるだろ。」

息子「なんにもないよ。鍬や鋤もお金に変えて、今年の春どうしようかって困っていたじゃないか。」

親父「しかし、一つぐらいあるだろ?」

息子「あるにはあるよ。でも・・・。」

親父「でも何だ?」

息子「ロバなんだ。」

親父「バカ言え!ロバを売ったら明日からわしらどうすればいいんじゃ。」

息子「でも、ロバを売らなかったら、もう今日から食べるものがないよ。」

親父「・・・、う〜ん、わかった。背を腹には替えられん。ロバを売ろう!」

かくして、食い詰めた2人は、唯一の財産であるロバを売るために市場へと引いていきました。

その途中。

通行人1「2人でロバを引いて歩いているなんて、勿体無い。どちらかが乗れば良いのに。」

息子「おっとう、あんなこと言われたよ。どうしよう。」

親父「確かにな。じゃあ、わしが乗る。お前が引け。」

人の言うことを聞きすぎて、身動きが取れぬ

息子がロバを引き、親父が乗ってしばらく、行くと、

通行人2「親父が乗って、息子に歩かせている。なんて無慈悲な親だろう。」

親父「むむむ、交代じゃ。お前乗れ。」

息子「分かった。おいらが乗るよ。」

さらに、しばらく行くと、

通行人3「あんな若いもんがロバに乗って、年寄りを歩かせている。親不孝もんもいるもんじゃな。」

息子「お、おっとう!」

親父「ようし、わしも乗るぞ。2人で乗れば文句あるまい。」

しかし、大の男2人に乗られたロバは、あまりの重さにヒーホー言って辛そうです。

通行人4「ありゃ、あれじゃロバが可哀想じゃ。なんと酷い親子だろう。」

息子「お、おっとう!」

親父「もう!降りて歩いてもダメ、乗ってもダメ。どうしたらええんじゃ。
そうだ。息子よ、ロープと長い棒を探してくるのだ。」

息子「え?どうするのさ?」

親父「いいから、早く行ってこい。」

ロバを失った訳

息子「おっとう、あったよ。長い棒とロープ。」

親父「よし、じゃあ、ロバの足をロープで棒に結わえろ。」

息子「よく分かんないけど、分かった。」

親父「よおし、じゃあ、わしが前を持つから、お前が後ろを持つのじゃぞ。そおれ!」

息子「そおれ!」

ロバは4本の足を棒に結わえられ、逆さ吊りになって親子に運ばれていきました。
逆さまに吊られたロバは、苦しそうにヒーホー、ヒーホー鳴きます。
そして、橋の上に差し掛かった時、ちょうどそこへけたたましい音をさせて馬車が通りかかりました。
その音にロバは驚いて、親子の肩の上で暴れ始めました。

息子「おっとう、ロ、ロバが。」

親父「絶対手を離すなよ。」

息子「む、無理だよお。ああ・・・。」

そして、ロバはそのまま橋の上から川に落ちてしまいました。

親父「ああ、たいへんだ!」

息子「たいへんだ!たいへんだ!」

しかし、2人がたいへんだ!と言っている間に、足を結わえられたロバは泳ぐことができずに溺れ死んでしまいました。
2人は唯一の大切な財産であるロバを失ったのです。

聞くべき時と、貫く時

多様性が叫ばれる昨今、いろんな人の意見をよく聞きなさいと言われます。
確かに、多様性を認め、それぞれの良い意見に耳を傾けることは大切です。
しかし、あまり人の意見を聞きすぎると、この親子のように悲喜劇が起こります。
愚かな親子は、良かれと思ってやっていることを次々と道行く人から否定され、どんどん選択肢を潰されていきます。そして、最後に行き着いたのは、もっとも残念で愚かな選択肢でした。
親子は思うでしょう。
わしらは、人の意見に従ってロバを失ったのだから、皆でわしらにロバを弁償すべきだ、と。
しかし、そんな責任を感じる人など、もちろんあるはずもありません。
当然、親子にとって一番正しい選択肢はありました。しかし、無責任な世間の口は、そんな正しいことさえも潰しにかかるのです。
同じように、私たちが誰の意見を聞いて、誰を信じるかは非常に大切な問題ですが、どんなに立派で正しい人にも必ず謗る人間がいます。それを、あの人は謗られているからダメと、悉く人を否定したら結局何もできない、何も信じられない、そして動けなくなります。
まさに、「皆にて褒むる人はなく、皆にて謗る人はなし」ですから、自分が信念をもって正しいと思ったことや人は、たとえ謗る人がいても自分の思いを貫くことが大切です。
もちろん人を苦しめたり、貶めたりすることは論外ですけど。