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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

どうぞ、スッパリやっておくんなせえ

(写真:青の富士 その2)

朝右衛門の失敗

松下村塾で久坂玄瑞ら倒幕の志士や、高杉晋作を指導した吉田松陰が斬首されたのは、まだ齢29の歳でした。
その時、斬首の役に当たったのが、山田朝右衛門という人物です。
山田朝右衛門は、よく時代劇や時代小説に登場するので、ご存知の方も多いでしょう。
山田家は代々世襲で、江戸で重大犯罪を犯した罪人の首を切り落とすのを役儀としていました。それによって得られる扶持は決して多くありませんでしたが、役得として処刑後の罪人の身体を貰い受け刀の試し切りに使ったり、死体の肝臓や脳を取り出して労咳に効く丸薬を作っていました。それが、かなりの収入になったそうです。
山田朝右衛門は、初代から9代目まで名前が残っています。中には、罪人の顔に貼りついた米粒を、罪人の肌を傷つけずに真っ二つにするほどの腕前の朝右衛門がいました。
それほどの達人の山田朝右衛門なら、罪人の首を切り落とすくらい造作もなかったと思えますが、実は度々仕損じることがあったのです。

どうぞ、スッパリやっておくんなせえ

吉田松陰の首を刎ねたのは、7代目の山田朝右衛門でした。
吉田松陰だけでなく、橋本左内ら安政の大獄の犠牲者を斬首した人物としても有名です。
その7代目山田朝右衛門が斬首に苦労した罪人がいました。
一人は、かの有名な鼠小僧次郎吉です。
捕縛され、死罪を言い渡され、刑場に引き出された鼠小僧の態度は潔いものでした。
「どうぞ、スッパリやっておくんなせえ」と何の気負いもなく自ら首を差し出す次郎吉に、朝右衛門は一太刀で首を落とせず苦労したと言います。
吉田松陰ら幕末の志士は、首を刎ねられる時に気負って首筋に力が入っていました。
そこを切り落とすのは造作もありませんでしたが、鼠小僧次郎吉のように何の気負いもない首は逆に落としづらいと言います。
あと一人は、吉原の花魁でした。全てを覚悟しきったその姿に、いかに手練れの朝右衛門といえどなかなか刀を振り下ろすことができなかったのです。

気負いを捨てる

私たちは、苦難困難に向かう時、それに負けまいと思い切り力を込めます。
ちょうど、今から首を落とされる時に、首に力を込めているようなものです。
力が入って固くなっているのは、ポキンと折れやすいことでもあります。確かに、枝でも硬い枝は折れやすく、柳のようにたわむ枝はなかなか二つに手折ることが出来ません。
気負いの捨てた首が朝右衛門にとって恐るべき難敵ならば、私たちも苦難困難に向かう時に気負いを捨てれば思わぬ力を発揮するかも知れません。
例えば、大衆の前で講演をする場合を考えてみます。
相手は大衆と思うから、一週間以上前からしっかり準備を行います。
原稿を書いて、一言半句その通りに喋ろうと練習します。声の抑揚、間の取り方、喋ってみて伝わりづらい表現はないか、等何度も何度もチェックします。
当日、事前に会場を下見して、ここに人が一杯に入るのかと思ったら、一気に緊張感が高まります。
そして、自分の出番がだんだんと近くにつれ、「失敗したらどうしよう」とついつい気負ってしまいます。
自分の登壇を促す声を聞いた時、壇上に向かって歩く一歩一歩がまさに緊張のマックスです。

テーク イット イージー

そして、壇上から

「皆さん、こんばんわ」

と呼びかける。
その時会場のおかしな雰囲気。

「あっ、まだ朝の10時だった。」

あちゃあ、やっちゃった。
これで、歴史に残る名講演はおじゃん。
でも、それで思い切り力が抜けました。

「いまさら、格好つけてもしかたないか。」

それで、多少原稿から外れても好きなように喋ろうと、多少アドリブを加えながら軽妙なトークが出来ました。
聴取の評価はまずまず。
自分自身も、思いの外うまく伝えられて、自分で自分に90点をつけることができました。
・・・
と言う体験、ありますよね。
気負いを捨てた瞬間、緊張感が転換し、普段以上の力が生まれるのはよく経験することです。
これは、大勢の前に出た時だけでなく、手強くて苦手な相手に対峙する時も同じです。
負けまい、弱みを見せまいと固くなると、かえって隙が出来てやられます。
気負いを捨てれば、相手はツッコミどころを失い空振りするでしょう。
気負いを捨てる。
鼠小僧次郎吉のように、「どうぞ、スッパリやっておくんなせえ」とは言えませんが、せめて「テーク イット イージー」くらいには、いつでも力が抜けるよう練習しておきたいですね。