今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

悔恨と羞恥の夜を経て、人はまた新生する(後編)

(写真:流れに苔むす)

悔恨と羞恥の夜

ジェフは家の庭を手入れするのが日課だった。
あの戦争から40年、軍隊を退役し、いまや恩給を受けながら悠々自適の生活を送っていた。
しかし、そんな恵まれた立場のジェフの心を時折曇らせる暗い記憶があった。

あの作戦に、ジェフは航空士として参加していた。
銀色の巨大な輸送機に、広域破壊兵器、通称ファットマンを搭載し、基地からはるか東の海に向けて飛んだ。
ジェフもまた、「不毛で凄惨な戦争を一刻も早く終結させ、両国の幾百万の命を救うため」と指令を受け、使命に燃えての出撃だった。
そして、作戦は大成功を収めた。
国民はその戦果に狂喜し、マスコミは自分たちを英雄と書き立てた。
そしてほどなく戦争も終わる。
国からの説明は本当だった。
階級も特進し、それ以来軍隊の中のエリートコースを歩んできた。
確かに、恵まれた一生だった。
キーは全てあの日のミッションにあった。
それに感謝こそすれ、恨んだことはない。
しかし、航空士として任務の一役を担ったに過ぎないジェフにも、あの作戦は深い傷となっていた。
任務とは言え、自分たちの作戦で幾つもの街とそこに住む人間が消えたのだ。自責の念に苛まれないとすれば、それは人間ではない。
そして、時折タケルと言う少年兵のことが思いだされた。
親の祖国である同胞の地に、壊滅的打撃を与える、そのレバーを引いた少年兵は、どんな地獄を心に抱えたのだろうか、と。

ある日の午後、ヤマモトという人物からジェフに「会いたい」と連絡があった。
ヤマモトは、海外で画家を生業にしている人物だと言う。彼は、この国に生まれたが、40年近く前に出国して、それまで一度も帰ることはなかったと聞く。
なぜ、40年も経って、また祖国に帰ろうと思い立ったのか。それは、当時の関係者が健在なうちに、前の世界大戦の証言を集めるためだと言う。
それを聞いたジェフは、背中に鈍い痛みを感じた。それは、向き合うことのできない過去を抱えた人間の心の痛みであった。
ジェフは古傷を掘り起こされるようで気が進まなかったが、ヤマモトは、「トム、マイケル、フランツ・・・」と次々と戦友の名を挙げた。全てあの作戦に参加したメンバーだった。

「やはり、過去からは逃げられないのか。」

ジェフは、ヤマモトとの接見を承諾した。

やがて、春の近いうららかな日、ヤマモトはジェフを訪ねてきた。
事前に訪問を聞いていたジェフは、庭先にロッキングチェアを持ち出して、ゆっくり揺らしながらウィスキーをチビリチビリと口に運んでヤマモトを待っていた。
家の前に色のハゲたタクシーが止まり、丸いメガネをかけた小太りの男性が降りてきた。
左手には、旅行用の大きな鞄を提げ、右手には真っ赤なスケッチブックを抱えていた。

「ヤマモトです。」

「遠いところをご苦労だね。」

「こちらこそ、急なお願いをして申し訳ありません。」

そうして、ジェフはヤマモトにも椅子を勧めた。

「ウィスキーでいいかな。ピクルスとサラミもやってくれ。」

「有り難うございます。」

ヤマモトは、丁寧に礼を言って腰を下ろした。

「私は何人目なのだ?」

「え?」

「もう、他の人間には会ってきたのだろ?」

「あの爆撃機の乗組員たちのことですね。」

「ああ、あんたが名前を挙げたトム、マイケル、フランツ、みんなあの日に一緒に飛んだ奴らだ。あいつら元気だったか?」

「はい、皆さんお元気でした。ただ、それ以外の皆さんは、すでに亡くなっておられて、会うことは叶いませんでした。」

それを聞いてジェフは痛ましそうには顔を歪めた。

「そうか・・・、まあ、みんなそんな歳なんだよな。」

「はい、そう言う方もおられましたが、何人かはもう何十年も前に亡くなっておられました。」

「ほう、病気か何かか?」

「いえ、自殺でした。」

人は新生する

それを聞いたジェフの顔は急に険しくなった。

「自殺・・・。なぜ?いや、言わなくても分かっている。自分もそれから目を背けなければ生きられなかったからだ。」

全てを察したようにヤマモトは続けた。

「しかしなぜ、あなた方だけがそんなに苦しまなければならなかったのですか?
あなたたちは、国の命令であの大量破壊兵器を運んだだけではないのですか?
最後、レバーを引いた訳でもない。
むしろ、本当に罪を自覚しなくてはならないのは、その使用を決めた大統領と、それを補佐する高官たちだったはずです。」

ジェフの目が遠くなった。

「だが、わしらはあれをこの目で見てしまった。あの激しい閃光と、真っ赤な血の色のようなキノコ雲を。
あの下で何が起こっていたか、戦争後にあの国と国交が回復したあと、大量に情報が流れこんできた。
何万、何十万もの命が焼かれた。幼い子どもも、生まれたばかりの赤ん坊も・・・。」

「皆さん、そのように苦しんでいました。中には、それに耐えきれず心を病んで、自ら命を絶った人もいます。」

「あんた。」

そう言って、ジェフは皿の上のサラミにフォークを突き立てた。

「これが、かつて生きた豚だったってことを想像できるか。それを知っているのは、実際に豚を殺した屠殺だけだ。
それと同じだ。偉いやつらは俺たちに酷い仕事を押し付けて、自分は遠く離れた場所で涼しい顔をしてやがる。あいつらに罪の意識なんかあるもんか。
それに・・・。」

そこでジェフは一度言葉を切った。

「それに、あんた、あのタケルに会ったかい。あいつ、生きていればまだ60前のはずだ。
あいつは、レバーを引くためだけにあの爆撃機に乗せられたんだぜ。」

「と、言うと?」

「あいつ、親があの国の人間だったんだ。つまり、タケルは自分の同胞に爆弾を落とすために選ばれたんだ。敵国と同じ人種に虐殺をさせて、自分たちは手を汚したくなかったのさ。
あいつら、自分たちがどんなに悲惨なことにらなるか分かった上で、俺たちに運ばせやがったんだ。」

「もちろん、タケルはそれを知っています。」

「あんた、あいつに会ったのか?元気だったか?」

「タケルは、あの大量破壊兵器のもたらした結果を、一人の画家から教えられました。
この赤いスケッチブックが彼の原点だったのです。」

そう言って、ヤマモトは赤いスケッチブックを開いた。
そこには、かつてタケルが見た、炎に焼かれ血まみれで行進する亡者の群れが描かれていた。
思わず、ジェフは口を押さえて吐き気をこらえた。

「これが、タケルのしたことの結果です。」

「や、やめろ!スケッチブックを閉じてくれ。」

ジェフは目をギュッと閉じて、悲惨な絵が視界に入らないように抵抗した。

「ですが、今やこれはタケルの持ち物です。タケルは半生をこのスケッチブックとともに生きてきました。」

そう言って、ヤマモトはメガネを外して机の上に置いた。
ジェフは、その顔に見覚えがあった。

「あんた、タケルなのか?そうだ、タケルだ。どうして、あんたが。」

「これは、私の心の終わりの旅なのです。
私は、一人の画家からこの絵を見せつけられ、ひどく罵られました。
その時、はっきりと自分の罪の重さを知らされ、慄然としました。
それから、苦しんで、苦しんで逃げ出すように国を出ました。どこか、誰も自分を知らないところへ逃げたいと思いました。
そうして、10年近く国から国へとさまよいました。
しかし、どこまで逃げても、あの日の記憶からは逃げられなかった。
だから・・・死のうと思いました。
でも、最後にあの国の、あの場所に言って、自分のしたことを確認したかった。
そして、あの場所で、私はまたあの画家に会ったのです。」

タケルは、少し涙を浮かべていた。
ジェフは、タケルの話をまんじりともせずに聞いていた。

「まるで、10年前から私を待っていたように、あの日に焼かれ、真っ黒焦げになったドームを護るように彼は暮らしていました。
私たちは、仇敵と言うより、旧友のように挨拶を交わしました。
『やあ、やっときたね。』
『ここまで、長くかかりました。』
『私は十分苦しんだ。君も同じだろう。』
『はい、本当は死ぬためにここに来ました。』
『違う、生きるため、私の意志を継ぐためにここに来たんだ。』
そして、画家は私を弟子にしました。
あの日の悲惨な街を、空を、人を、死を・・・そして生をずっと後の世に伝える後継者として。」

「つらくはないのか?タケル。」

「もちろん、つらいです。今でも苦しいです。しかし、そこに向き合って、初めて新しく生き直すことができました。
私は、今あの日の出来事を絵で伝える事一つを生業にしているのです。」

ジェフは、心を打たれたように言った。

「お前は強いな。俺は・・・俺も、タケルのように生きられたらどんなに良いだろう。」

タケルは、そこで春の日に相応しい笑顔を作って言った。

「はい、私はそのために来ました。
あの日の出来事を、人類の罪を風化させないよう、私に力を貸してください。」

(おわり)