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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ハープを演奏することによってハープ奏者になる。それと同じように、私たちは正しい行いをすることによって正しい人間になる。

(写真:柿田川の流れ その2)

私たちは何者か

私は何者か?
そんな問いは、あえてするまでもないでしょう。
自分は男性、日本人、会社員、中管理職、妻ひとり、子供もひとりとか、私なりのアイデンティティはみんな自覚があります。

対して、人からの評価もとても気になります。いい人と思って貰いたい。しっかりした人に見られたい。残念な人に思われたらどうしよう。
もし、人前で笑われたり、叱られたりしたら苦になって苦になって、とても眠ることも、食事をすることもできません。
今、私たちはネットに割と無防備に個人情報をさらし、また個人的意見を発表しています。そうすると、それを目掛けて大勢の人間が押し寄せて厳しい言葉で攻撃をするかも知れません。いわば炎上です。それで、自分の心が深く傷ついて自殺する人も現れます。
つまり、それほど他人の評価に命がかかっています。
それも、ひとえに人の評価が自分のアイデンティティすら決めると思うからです。

行動が私たちを決める

しかし、同時に人の評価ほど当てにならないものはありません。
最近評価を上げた人と言えば、北朝鮮の金正男氏です。残念ながら、本人はその評価を聞くことはできませんが。
以前東京ディズニーランドに行こうとして偽造パスポートがばれ、本国に強制送還された時は、日本のマスコミがこぞって「金一族の穀潰し」みたいな書き方をしていたのに、いざ暗殺されてみれば、「民主化を志した」「世襲に疑問を持っていた」等の言動を取りげて、すっかり「某国の良心」的な扱いです。
別に正男氏の何が変わった訳ではありません。ただ、その時、その時でマスコミは大衆受けのする評価をしているに過ぎません。
まさに、禅僧一休の言うように「今日褒めて明日悪く言う人の口、泣くも笑うも嘘の世の中」であります。
人の評価が当てにならない中、自分が何者であるかを何によって知ったら良いのでしょう。
アリストテレスは、

「ハープを演奏することによってハープ奏者になる。それと同じように、私たちは正しい行いをすることによって正しい人間になる」

と言いました。
ハープを演奏する人がハープ奏者ならば、正しい行いをする人が正しい人間です。私が正しい人間かどうかは、正しい行いをしているかどうかで分かります。

真似でもせよの真意

自覚あるなしに関わらず、私たちは正しい人間でありたいと思います。
では、なぜ私たちは正しい人間になりたいのでしょう。
それは、やはり褒めて貰えるから。あるいは、人やお金に恵まれるから。
もちろん、それはわかりやすい結果ですが、そこまで生臭いことを考える人は希でしょう。むしろ、漠然と幸せになれるからと考えるからだと思います。
それは、反対に「悪党!」「人でなし」と人から罵られたら悪果が怖いですよね。
「良い人だ」「立派な人だ」と言われたら、特に意識をしなくても未来の善果が思われ嬉しくなります。まるで、目の前がパッと開けたようになる気持ち、覚えありませんか。
もちろん、正しいことをしているかと言って、「善人」とは言わないのが世間です。
むしろ、「善人ぶっている」「偽善者だ」「売名行為だ」と言われたくなくて、勇気をが出せずにできない善行はたくさんあります。
でも人の評価に関わらず、良い種まきが、良い結果をもたらすことは曲がりません。
良い人間であるかどうか、そして未来善果に恵まれるかどうかは、今の自分の良い種まきにかかっているのです。
だから、まずは良い行いをする人に親しんで「真似でもせよ」と言われます。

善心の源

そこだけ真似しても意味がないのでは?
付け焼き刃では、何にもならないんじゃないのか?
普通、そのように思えます。
しかし、少しでも良いことを真似することが善心の源になります。
例えば、グチャグチャに散らかった部屋の中、外から覗かれると恥ずかしくて、見える部分だけ片付けたとします。
人から見える部分だけ取り繕って浅ましい、と思うかも知れません。
でも、少しだけ片付けたところが気持ち良いと思えば、あともう少し片付けたらもっと気持ち良いだろうと考えます。そこでもう少し片付けてみたら、またもう少し片付けたくなって、部屋の半分ほど片付けたら、もうあと半分も頑張って片付けようと勢いがつきます。
そんな話、なんだか心当たりありませんか。
実は、ぜんぜんちゃんとしていないのに、たまたままとめ役に抜擢されて、人前だけでもちゃんとする必要があるとします。
人前のカッコつけの自分と、普段のぐだぐだの自分、あまりのギャップに心が痛む。
それで、少しづつ良い方へと引きずられて行きます。
だから、まずは真似から、フリからです。
そのために、良い縁を求めて、正しい人に親近したいものです。