今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。(中編)

(写真:昼下がりの港 その3)

最悪のコンタクト

東大寺歌陽子(かよこ)は、総務部で一番年の近い佐山清美の案内で開発部技術第5課に連れられて行った。
三葉ロボテクの開発部に、技術課は全部で5つある。
第1課は、新技術開発をメインに行う研究開発部門。技術の中の花形である。
第2課は、第1課と協力して、試作品の製品化と量産化を担当する。
第3課は、標準品で対応できない、いわゆる特注品を請け負う部署で、第4課は外部のベンダーの力を借りて開発を行う際の窓口となっている。
そして、そのいずれにも属さない技術第5課は、つまりどこからもはじかれた人材の溜まり場だった。
開発部技術第5課は、本館を裏口から抜けた敷地の片隅に建てられた古い建屋にあった。
あきらかに備品や不用品置き場としか見えない油臭い倉庫の奥に、クロス貼りがめくれた扉があった。そして、『開発部技術第5課』の看板。
扉を開けると(うわあ、男臭い!)。
乱雑に積み上げられた資料や、放り出された工具に、作りかけの、と言うか何に使うかよく分からない機械が転がっていた。
そこかしこから、低い呻くようなつぶやき声が聞こえてくる。

「あの、佐山さん、ここってまずいんじゃ。」

「心配いりませんよ、東大寺課長。ここの社員はもう枯れたおじいちゃんばかりですから。」

「いえ、そう言う意味じゃなくて。」

すると、急に後ろの山がガラガラと崩れて、大きな声が飛び出してきた。

「おい、ソームブ、誰がジジイだ!」

突然、背中からどやされて、歌陽子は思わず「わっ!」と叫びそうになった。
しかし、清美は見かけによらず肝が座っていると見え、しっかりした声で言い返した。

「もう、野田平さん。急に声をかけないでくださいよ。」

「なんだ、ガキなんか連れて。職場体験か何かか?」

「違います。この人は、今日からあなた方の上司になるんですよ。」

それに、野田平は間の抜けた顔になった。

「はあ?このメガネが?おい、あんた!」

急に詰め寄られて、歌陽子はすっかり気を呑まれてしまった。

「あんた、上司って。俺らの下の世話でもしようって言うのか?」

「あ、あの・・・今日から、皆さんの課長を拝命しました、と、東大・・・。」

「おい!」

「はい・・・。」

「あんた、重役の、これか?」

と、野田平は小指を立てた。

「ち、違います!」

顔を真っ赤にして、歌陽子は必死に否定した。

「ちょっと、失礼なこと言わないでください。この人は、東大寺さんのお嬢さんなんですよ。」

その時、部屋のあちらとこちらで、急にバン!バンと音がした。
そして、血相を変えた男性が一人、その手を掴んで必死に抑えている男性が一人。

「こら!お前、東大寺のくそオヤジの娘なのか!」

たいへんな剣幕だ。

「あいつはなあ、あいつはなあ・・・。」

「ちょっと、前田町くん、待ちたまえよ。相手は若い女性じゃないか。」

「忘れたのか?あいつがうちの会社の株を掻き集めて、経営に口出しするようになってから、うちの会社がすっかりおかしくなっちまったんだ。うちは、もっと志の高い会社だったはずだろ。それが、今はすっかりツマラン拝金主義の会社だ。」

「まあ、まあ。」

に、逃げ出したい。
ここなんなの?
どうして、こんな怖い人たちがいるの?
いままで、一度だって怒鳴られたことなんてないのに。
怒鳴られるどころか、殴りかかろうとしている。
その時、後ろから清美の落ち着いた声が聞こえた。

「どうします?一旦出直しますか?」

しかし、歌陽子の口からは、後から思い出しても、なぜそう言ったのか不思議に思える言葉がでた。

「いいえ、わ、私の席に案内してください。」

ハードデイズ

それから、あっと言う間に1ヶ月が過ぎた。
口が悪くて皮肉屋の野田平。
東大寺嫌いで、とにかく怖い前田町。
一見紳士風で親しみやすいが、何を考えているかサッパリの日登美。
みんな60前後の一癖も二癖もある職人技術者たち。
実はこの3人、会社の黎明期に今の技術のもとを作り上げた技術社員だった。
しかし、技術はあるが経営手腕が今ひとつだった創業社長は、やがて経営に行き詰まり、東大寺グループの資本を入れる代わりに社長の立場から身を引いた。
かわりに東大寺グループから派遣された今の社長のもと、グループの支援を受け社業は急拡大した。そして、古参の三人は先代社長の引退以来すっかり冷や飯を食わされていたのだ。
もちろん、経営の責任は先代社長にある。
東大寺の資本が入らなければ、当時の100人余の社員は路頭に迷っていだだろう。
しかし、新体制とソリが合わず、だんだんと末席に追いやられた技術第5課のメンバーは少なからず東大寺に遺恨を含んでいた。
そのまま会社から去る選択肢もあった。しかし、今の会社の技術はほとんど3人がもとを作ってきた。まるで、可愛い我が子のようなもので、どんなに冷や飯を食わされようが、会社からは去り難かったのである。
さて、そんな不満の火種がくすぶる技術第5課に、当の東大寺の令嬢が入り込んだのだから穏やかでない。
初日は取り敢えず流血の惨事は避けられた。
と言うか、さすがに強面の前田町もそこまでは非常識人ではない。そこは会社も信用している。
しかし、あれ以来、前田町は一切歌陽子と口を聞こうともしなかった。だが、歌陽子の仕事に不手際があると聞こえよがしに怒声をあげ、歌陽子はそのたびに縮み上がった。
野田平は野田平で、歌陽子に対して細かい仕事をいろいろと言いつけていく。完全に上司と部下の立場は逆転して、いわば野田平のパシリのようなこともやらされていた。
そして、日登美はあまり当りはキツくなかったが、全くの素人の歌陽子に対して、かなり難易度の高い仕事のサポートを依頼した。だが、歌陽子が役に立つはずもなく、代わりに野田平か前田町にヘルプを求めることになる。しかし、これが一番嫌な仕事であった。平身低頭してサポートを求めるのだが、前田町は無視し、野田平からは徹底的に嫌味を言われる。人格を否定されるようなことまで言われ、そのたびに心が削られるような気持ちになった。
また、今でも3人の高い技術力を頼って他部署からいろいろな依頼が来る。
当然、窓口は課長である歌陽子だ。
しかし、受けた仕事が気に入らないと怒鳴られる。そこをなんとか受けて貰っても、仕様が気に入らないと勝手に変えてしまう。自分の思ったように仕上がらないと、期日無視で作りかえようとする。
しかも、3人がみな3人ともそんな調子だったので、そのたびに歌陽子は依頼元の部署に頭を下げに行った。
最初は、東大寺の令嬢と言うことで当たりも優しかったが、最近はすっかり慣れたのか、「仮にも課長さんなんだから、しっかり頼みますよ」と文句を言われ舌打ちまでされる。
歌陽子は、高校3年間メンタルトレーニングを受け、ネガティヴな感情の解消の仕方を学んでいたが、さすがにキツくてキツくて、だんだん気持ちの処理が追いつかなくなってきた。
そして、ある時、鏡に映った自分の姿を見てゾッとした。

(後編に続く)