今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。(前編)

(写真:昼下がりの港 その2)

人間の心地よさとは何でしょう。
今の世の中はストレス社会と言われて久しい反面、極度にストレスを除き、ストレス「レス」社会を志向しているようにも思えます。
結果、日常からどんどんストレスが除かれていって、心地よい社会が実現できるはずが、かえって風の吹かない無風社会が出現する気がしてしようがありません。
風のない中、凧揚げをしていても楽しいものでしょうか。
もちろん、世の中の理不尽さを正すために皆んなが力を合わせて行っていることなので、否定をしてはならないと思いますが、凧が上空まで舞いあがり心から楽しめるのは、強い風に向かった時のはずです。

新人

オフィスの談話室にて、女子社員が集まって会話をしている。

「だいたい、新入社員がポルシェって、どうなの?」

まずは、アラサーと思しき先輩社員が切り込む。

「でも、うちの会社、自動車通勤は認められてるでしょ。」

こちらは、所帯感をにじませているいかにもママさん社員。

「だから何?会社が許せば何してもいいって言うの。いきなり朝ブロロローッて爆音がして、何かな〜と思ったら、いきなりポルシェよ。よっぽどの重役か、あるいは車好きのスポーツカー男子かと思ったらよ、なんと中から出てきたのは、丸眼鏡のまだ乳臭いガキじゃない。しかも、いかにも高そうな服を着込んで、お金持ちの匂いをプンプンさせて。
思わず、『お客様、弊社にどのようなご用事ですか?』って聞いたわよ。
そうしたら、『今日からこちらの会社でお世話になります、東大寺です』、だって。
私ねえ、『会社は遊びに来るところじゃないのよ、スポーツカーで来てどうすんの』って言ったら、そしたらよ、なんと言ったと思う?」

「なんだって?」

「『あの、会社だから一番地味な車にしておけ、と父親から言われまして。それで、一番おとなしい車にしたんですけど』だって。
どんだけ、お金持ちなのよ。それに、何でそんな天界の住人がうちの会社なんかに来るわけ?」

「でも制服に着替えてる時に会いましたけど、普通に真面目そうないい子じゃないですか。」

他の女子より幾つか年が若い、彼女たちの後輩と思しき社員が口をはさんだ。

「は!あんた何見かけに騙されてんの?あんな丸眼鏡なんか、ダテに決まってるでしょ。
金持ちの娘が放蕩三昧の挙げ句、父親から場末の会社に放り込まれて、反省するまで庶民のメシを食べさせられるってオチじゃないの。」

「ちょっと、場末なんて自分の会社をそこまで言わなくても。」

「だいたい、東大寺って、あの東大寺一族のことでしょ。
うちの会社の筆頭株主で、いまやバイオでは世界をリードする医療系企業グループのオーナー、そして資産は何兆とも言うわ。
そんなところのお嬢様が、何で一般社員に混じって働こうとしてるの?
どっか海外に留学でもして、適齢期になったら父親の決めた相手と政略結婚でもしてればいいのよ。
だから、あの子、相当の問題児よ。それをうちの社長、力にものを言わせて押し付けられたのよ。下手すりゃ、私たちが面倒みろなんて言われるかもね。そうしたら、もう仕事どころじゃないわ。」

「それがねえ、これはあくまでも噂なんだけど、あの子いきなり課長待遇っていう話があるのよ。」

「え、まさかあ、それはいくら何でも酷すぎません?」

「で、一年後は役員とか?この会社潰されるわよ。」

「だから、あくまでも噂よ。うちの重役もそこまで馬鹿じゃないわ。」

魔窟

東大寺歌陽子(かよこ)、20歳。

「貴君に、開発部技術第五課の課長を任ずる。」

出社初日の歌陽子を待っていたのは、いきなりの管理職の辞令だった。
しかも、今まで全く経験も知識もない技術開発を行っている部署の課長なんて。
当の歌陽子は、多少世間離れしたところはあったが、女子たちが噂するような放蕩ものではなかった。
普通に小中高とお嬢様学校に通い、受験勉強の苦労もなく、有名短大で2年間を過ごした。そして、予定ではアメリカに留学して何らかの学位を取得したら、才女の肩書きを持って花嫁修業をするはずだった。
だが、まるで完璧な設計図を引かれたような自分の人生が歌陽子にはいたたまれなくなった。
何の苦労もなく、何の冒険もトキメキもない、そしてただニコニコと笑って歳だけを取ってゆく。そんな人生になんの意味があるんだろう。
それに比べてSNSで知り合った同世代の女性たちは、それぞれに仕事を持って、自分たちが必要とされている誇りにキラキラと輝いていた。もちろん、SNSはみんな自分の良いことしか言わないものだが、歌陽子にそんなことは分からない。
私も世の中に飛び出したい。
歌陽子は、父親の決めた完璧な未来にノーと言った。
周りは散々宥めたり、厳しく叱りつけて諦めさせようとしたが、反対されるほど一層意固地になるのは東大寺家のDNAらしい。
ハンガーストライキまで敢行した歌陽子の抵抗に、ついに父親は娘の進路変更を認めた。
ただし、一年だけ。
もし、それでものにならなければ、キッパリと諦めて、来年からアメリカ留学をするのだぞ。
喜び勇んだ歌陽子だったが、さてもう3月、今更就職活動しても間に合わない。
ところが、そこは物分かりの良い父親が用意をしてくれた。
それが産業用ロボットの中堅企業「三葉ロボテク」。
ロボットなんか、さっぱり分からないけど、まあいいか。
お父様ありがとう。
それで、入社祝いに買って貰った通勤用の地味な車、白のポルシェで颯爽と出社したのが今日。
総務部の女子3人に見咎めながら、なんとかいろんな手続きを済ませ、人事部長から受け取った辞令がいきなりの「開発部技術第五課課長」。
そして、これはすべて歌陽子の父親の差し金だった。
つまり、「娘がすぐに音を上げるように、一番しんどくて、やり甲斐もない部署に放り込んでくれ」と言う指示に、三葉ロボテク側が一生懸命知恵を絞った結果だった。
しかも、その「開発部技術第五課」は、社内から「魔窟」と呼ばれていた。

(中編に続く)