今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

瞬間で正解を導く能力

(写真:昼下がりの港 その1)

10分考えて分からぬことは

「いつまでに答えを貰えますか?」
「う〜ん、一週間ください。」
よくある会話です。
少し聞くと、「一週間よく熟慮して答えを出します」と聞こえますが、一週間も考えこんだら気が変になります。
一週間とは言いながら、実際は期日の前日や当日に間に合わせで回答することがほとんどです。
その所為か、一週間考えてきた結果だからと期待して待っていると、意外に陳腐な回答をされてガッカリという事もあります。
つまり、10分考えて答えが出ないものは、一週間考えても出ないことが殆どです。
もちろん、自分の裁量では勝手に答えられない場合もあります。そのため、上司の決済を受ける時間を考えて一週間の猶予を貰うのなら分かります。
それにしても、瞬間的にある程度の答えを持っていてこそ、決済に必要な時間も見積もることができます。そこが不明確だと、一週間後に「済みません、もう一週間」と申し訳のない延長願いをしなければならないのです。

拙速と熟慮

孫子の兵法に「兵は拙速を尊ぶ」と言う言葉があります。
謂わゆる戦争に於いて、多少まずいことがあっても結論を早く出し、すぐに行動せよと言っています。
しかし、軍略が浅くて、大敗を喫した事例は過去枚挙に暇がありません。
軍略は裏のかき合いです。
平地を進行してくると思うから、「途中の隘路で挟撃すれば簡単に撃破できる」と軍略を立てます。しかし、自分に見えているものは、当然相手にも見えているはずで、うかうかと危険な進路を進んでは来ないでしょう。だから、平地を避けてくると読んで、山道に伏兵を忍ばせて奇襲を試みる。
ところが、さらにその裏をかいて平地を進路に選ぶかも知れません。相手の腹を読みだしたらキリがありませんが、裏の裏をかき、また裏の裏の裏をかく。
軍略とは、そのように熟考に熟考を重ねてこそ、初めて一勝を拾えるのだと思います。

義元と信長

しかし、拙速を旨とした孫子には、彼なりに通じた戦の機微がありました。
戦場の状況は刻々と変化します。有利に展開していたはずが、ちょっとしたことでガラリと戦況が変わることがざらにあります。
今川義元にして、尾張と言う小国に対する一瞬の気の緩みが、殆ど手をかけていた天下取りの大望を水の泡に帰しました。
対して織田信長は、攻めよせる今川軍にまともにぶつかっては勝ち目がないと考え、今川義元の大将首一つに狙いを定めました。
そして、密偵を四方に放って義元の居場所を探らせたのです。
義元の居場所を突き止めるまでは、軍議すらまともにしない、ただ座して待つのみ。そして、敵将の居場所を突き止めるや、火のように動きました。
にわかに降り出した大雨に紛れ、突如本陣の目の前に出現した織田軍に今川軍は混乱。たちまち、今川義元は首級を上げらたのです。
滅びた今川家と、九死に一生を得て勝ちを拾った織田信長、その差は何だったのでしょうか。

瞬間で正解を導く能力

今川義元は、それまで天下統一に一番近い最強の武将と見なされていました。北条、武田と同盟を結び、三河の松平ももはや手の内でした。
あと残るは小国尾張のみ。踏み潰しさえすれば、あと京都まで一直線だったのです。
そこまで周到に手を打って、熟慮に熟慮を重ねて上洛を目指しましたが、最後信長に野望を挫かれました。
対して織田信長は、今で言うところの情報戦の先駆けになった人物です。
迫り来る今川軍に対し、密偵を放って常に動きを探らせ、次々と持たらされる情報をもとに作戦を変えて行きました。
そして、今川義元の居場所を突き止めるや、火のように行動を起こしました。記録によれば、信長一騎で駆け出し、家臣が必死に追いかけたとあります。
結果から見れば、今川軍の油断が身の破滅を招いたことになります。信長はその隙に乗じて、僥倖を得たとも言えましょう。
しかし、もたらされる情報から状況を把握し、臨機に応じて行動を起こした即断力が彼をして強敵を上回らせたのではないでしょうか。
もし、信長が拙速を嫌って決断を躊躇えば、時機を捉えたこのような鮮やかな勝利はなかったでしょう。
もちろん、拙速も熟慮も場合によりけりです。しかし熟慮も、まずは拙速であっても瞬間に導かれた答えを深めて行った方が、考察はより早く深くなります。
その瞬間に答えを導くために、日頃からどんな情報を取り、どんな思考を積み重ねておくか、研鑽を怠らないようにしたいものです。