今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

もっとも大切にすべき資産

(写真:名駅ムーン その3)

平等な財産

お金持ちでも貧乏人でも、アメリカ人でもアフリカの人でも、昔の人でも現代人でも等しく持って生まれてくるものがあります。それは、命とその時間です。
もちろん、今と昔では平均寿命が違いますから、その長短に差はありますが、命と言う財産を持っている点では同じです。
しかし普通、財産と言えば、お金とか家とか、土地、株券、家具や自動車を意味します。
もちろん命自身を財産とは数えませんし、また国から資産税を要求されることもありません。
では、なぜここで命を財産と呼ぶかと言えば、私たちは命の時間を支払っていろいろなものを手に入れるからです。

財産を使うことが意味するもの

例えば、後にも先にも、もっとも自分の時間を自由に使える期間と言えば、大学の4年間以上にはないでしょう、
(もっとも、最近はかなり様変わりしているかも知れませんが)
一応学生ではありますが、親の監視下からは離れています。学校からの管理も厳しくありません。
生活の面倒一切は親が見てくれるので、生活の心配はありません。しかも、自由にお金を稼ぐことだってできます。
時間は会社員のように9時-5時で縛られることはなく、試験はありますが残業やノルマは存在しません。
休みの期間は長く、平日も授業に拘束されるのは約50〜60パーセントです。
つまり、非常に自己裁量の多い期間と言うことになります。
そして、その4年間の時間を何に使うかは、大学生であるまだ20前後の青年の意思に任されています。
私の時代、よく聞いたのは4年間一生懸命アルバイトをして車を買った人。
もちろん親に負担をかけなかったとか、社会人になる前に仕事の体験ができたとか、褒めるべき点は多くあります。
しかし、時給1000円のアルバイトで200万の車を買うには、2000時間働かなくてはなりません。一日8時間換算ならば、250日間、週4日アルバイトすれば62週、13ヶ月間。
つまり、およそ4年間のうち1年間は比較的高給の仕事にドップリ入り込まなくてはなりません。
事実は200万支払って車を買ったことに違いありませんが、同時に4年間のうちの1年間を支払って買ったとも言えるのです。

使命

1年間、つまり大学生活の4分の一、人生80年の80分の一です。
もし、一生涯、そんなことだけに費やせば、まさに車を買いに来ただけの人生となります。
もちろん、そんな人はいないはずですが、案外そうとばかりも言い切れない人もいます。
昔の知り合いに20そこそこで高給スポーツカーのオーナーになった人がいました。なにしろ、数百万もする車です。毎月20万でローンを組んで、支払いに5年近くかかると言っていました。
20万のローンを差し引けば、あと手取りの残りは数万円、せっかくのスポーツカーも満足にガソリンをいれることができません。
何のためにスポーツカーのオーナーになったのか理解に苦しみますが、彼がこれからも同じような人生を繰り返すのならば、まさに命自身で車を買っていると言えないでしょうか。
しかし、彼にも一言あるでしょう。
「せっかくの人生、たった一つの命、可もなく不可もなく、夢中になることもなく過ごしたら、それこそ勿体ないじゃないか。」
確かに、私たちのように、ただなんとなく時間、つまり命を使い果たしてしまうことの方が勿体ないかも知れませんね。
命を使うことを「使命」と言います。そして、それは非常に重い響きがあります。
私たちの「使命」は何か、そして何であるべきか、真剣に考えなければならないことです。

真の財産

そのため、特に男性は「一度男と生まれたからには一旗上げねば所詮が無い」と言い合います。
そして、若くして多くの人に影響を与えている起業家や著名人の人生に羨望の眼差しを送っています。
昔ならば、ナポレオンや豊臣秀吉とか、最近ならばビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのような大起業家とか。
まさに、彼らは私たちにとってカリスマであり、ヒーローであり、そして何生分もの悔いのない人生を送っている人です。
ならば、癌に倒れたスティーブ・ジョブズは、正しく命を使って満足して死んで行ったのでしょうか。
誰もがそれを疑いませんでしたが、仕事に公開された「ジョブズ最後の言葉」には世界中が衝撃を受けました。
その一文に、
「他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、いま思えば仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。人生の終わりには、お金と富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。」とあります。
つまり、大成功者のジョブズにとって、彼の成し遂げた偉業や、作り上げたアップル帝国すら人生の価値とは等価ではなかったと言うことになります。
人生の時間以上に大切な財産はありません。
その使い方には非常に真剣な検討が求められます。
そして、過去幾多の聖人がその検討に生涯を費やしてきました。
「朝に道を聞かば、夕べ に死すとも可なり」(孔子)
過去何千年、私たちには積み重ねた人類の叡智があります。そして、正しい「使命」こそ、私たちにとってもっとも導かれたい答えなのです。