今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

コミット力

(写真:名駅ムーン その2)

コミットするヤツ、凄いヤツ

「やれるのか?」
「はい、やります!」
「もう、月末だが大丈夫か?」
「え?」
「ほらあ、よく考えなきゃダメだろ。」
「やっぱり、やります!」
「無理矢理言ってないか?」
「大丈夫です。」
「じゃあ、やってみろ。途中で泣きを入れるなよ。」
「はい!」
・・・
よく交わされる担当者と上司の会話です。
上司は何度も念を押していました。
本当にやれるか、やれないか。「本当はやって貰いたくないんじゃないか?」と疑ってしまいますが、もちろんそんなことはありません。せっかくやる気になっている部下の気持ちを挫くようでは上司とは言えません。
ただ、中途半端に投げ出されては困るので、わざと疑問符を投げて気持ちを確かめているのです。
表面的には「あまりやらせたくない?」と思える上司の言動も、そのまま受け取ってはなりません。上司は心ならずもプレッシャーをかけているのです。それに負けることなく、自分の気持ちをコミットできる人こそ、本当に上司の意を汲んでいると言えましょう。

一歩間違えばお調子者

もちろん、なんでも簡単にコミットさえすれば良いと言う訳ではありません。
「やります」と言い切って相手を期待させた以上、本当にやれなかったら著しく信頼を損ないます。
漫画家の藤子不二雄氏が売れ始めた頃、たくさん抱えた原稿を年末に実家で仕上げようと持ち帰りました。しかし、実家に帰った瞬間気が抜けてほとんどの締め切りを落としてしまったそうです。
それで出版各社の信頼を失って、しばらくは仕事を干されたと振り返っていました。
頼む方からすれば、任せるのはリスクを負うことです。もし、任せた相手が信頼を裏切ったりすれば、責任は任せた方が負わねばなりません。
売れ始めた漫画家は嬉しくて容量以上の仕事を引き受けるのでしょうが、約束が果たせなかったら、編集者にたいへんな迷惑をかけます。そして、実力はあっても信頼できない相手と見なされるのです。
その為「した約束はなんとしても果たせ」と厳しく言われます。約束はしても、その約束を簡単に破るようなら、それは信頼の置けない単なるお調子者だからです。

間違ってでも言い切る

だから、しっかりした人は約束をする時は、いつも慎重です。
「できません。」「やれません。」「無理です。」
そんな「石橋を叩いて渡る」のは、日本人の感覚では美徳でしょう。ただ、行き過ぎる場合もあります。
そう「石橋を叩き過ぎて壊す」場合です。
つまり、少し頑張ればできるのに、その少しのリスクが取りたくないから、敢えて自分の能力を少なめに見積もるのです。
確かに、失敗をしないので「あの人は手堅い」と信頼をして貰えます。ただ、反面「なんか物足りない」とガッカリされることもあります。
なぜなら、失敗を恐れて冒険しないから、サプライズがないのです。常に成果が予想できてしまうから、マンネリと言うか、新鮮味に乏しいと言うか、見ていてツマラナイ。
むしろ失敗が許される土壌があれば、間違っても良い、外しても良い、少々キャパオーバーに挑戦した方が新しい世界が開けます。
「本当に大丈夫?」
「はい!やります。」
間違っていても言い切るコミット力は自分も欲しいものです。

自分の言葉で成長する

では、コミットしたらどうなるか?
背伸びしたからと言って、その約束が果たされなくて良い訳ではありません。
自分で約束して始めた以上、「やっぱりできませんでした」は、口が腐っても言えない。
なぜなら、言い出しっぺは自分だから、約束を反故にするなんてとても恥ずかしくてできないのです。だから、必死で果たそうと頑張ります。
「あ~あ、無理しちゃって」とか「無計画なんだよな」とからかわれるかも知れません。
でも、無理は百も承知です。出来ることだけを口にしていたら、今の自分の頑張りはなかったでしょうし、新しい自分のゲートも開かないでしょう。
そして、それはすべて自分の少し無謀な一言から始まりました。
もちろん、約束を破ってはなりませんし、人に迷惑をかけてはいけません。
でも、今の自分の殻を破るには、そんな少々無茶なコミットも必要なのでしょう。
できないかも知れない約束をして、しかもそれを守らなくてはならない、そんな矛盾を抱えながら頑張るままが、私たちを育てるのです。