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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ネガティヴな感情は見つけて貰いたい

(写真:ドレミファ・バード)

飲み込んだ感情

私たちは、大人だから気分のままに感情を出したりはしない。
欲しいものがあっても、わざと要らないフリをする。それでも察する鋭い人がいて、気を利かせて包んでくれたりしても、苦労して満面に溢れる笑みを隠そうとする。
あるいは、その欲しかったものが横取りされ、感情が激しく波立っても、そこも努めて平静を装う。腹が立っても、それを面にださなければ、みんな「さすがあ」「大人だね」と褒めてくれる。そこは、しっかりと計算をしている。
また、自分を差し置いて評価された同僚がいる時、「クッソお」と思いながらも、「良かったじゃないか、さすがだなあ」と強がって肩を叩いて労う。
でも、平静を装っても、強張る顔の筋肉のコントロールはままならない。思い出す度に自己嫌悪に陥りそうだ。

感情が自己主張する

大人だからこそ、感情を一生懸命飲み込もうとする。
感情をうまく隠しおおせたら、まずは一安心。欲しいも、憎いも、羨ましいも、蓋をして土をかけて、もうなかったことにしよう。
そして、ネガティヴな感情は忘れて努めて気持ちよく生きよう。
とは思うものの。
土をかけて見えないように隠した感情が、心の底で鈍くうなり始める。まるで、自分はここにいるよ、と自己主張をしているようだ。
腹が立った感情。
もう過去のことさ、と済ませてしまいたいのに、時折ふっと思い出されて気持ちをひどくかき乱す。今目の前にいない相手の言動が、今の幸せな気持ちを台無しにする。
羨ましい感情。
それに気がつくと、自分がひどくツマラナイ人間に思える。
どうして、もう自分を苦しめようのないはずの感情が、今の自分の気持ちをかき乱すのか。

ネガティヴな感情は見つけて貰いたい

「王様の耳はロバの耳」という話がある。
友達の魔法使いと喧嘩して、耳をロバの耳に変えられてしまった王様。
必死で王冠の下に押し込んで隠していた。
ところが、都合の悪いことに髪の毛が伸びてきて、なんともうっとおしくて敵わない。
出入りの散髪屋を呼んで髪を切って貰いたいのに、そうすると隠していたロバの耳がバレてしまう。
しかし、しばらく我慢していた王様も、ついにたえきれなくなって散髪屋を呼んだ。
そして、散髪前によく因果を含める。
「良いか、散髪中に見た一切を外に漏らしてはならぬ。もし、漏らせば、たちまち首を打ち落すぞ。」
ゴクリと唾を飲みこんで約束をした散髪屋、王様の王冠の下にロバの耳を見て驚いた。
これはたいへんなものを見てしまった。決して外に漏らす訳にはいかない。
だが、言ってはならぬと思うと、ますます気になる。最近は頻繁に王様のロバの耳を夢に見るようになった。
ああ、誰かに打ち明けられたら、どんなに楽になるか。
しかし、打ち首は敵わない。だから決して言うことはできない。
だが、このままでは寝言に言いそうだ。
妻に聞かれでもしたらたいへんと、スコップ片手に山に登っていった。
そして、深い深い穴を掘って、そこに向かって大声で叫んだ。
「王様の耳はロバの耳!王様の耳はロバの耳!」
ああ、すっきりした。
そして何事もなかったように、穴に土をかけて家に帰って行った。

感情を受け入れるとどうなるか

しばらくして、王様は気になる噂を聞き始めた。町のものたちが「王様の耳はロバの耳」と言っているらしい。
早速、人をやって調べてみた。
町のものたちが言うには、山から風が吹いてくると、その風に乗ってこんな声が聞こえるそうだ。
「王様の耳はロバの耳!王様の耳はロバの耳!」
さては散髪屋め、漏らしたな!と激怒して、召し出して問い詰めるも、「決して漏らしてはおりません」と泣きながら命乞いをする。
しかし、なおも問い詰めると、山の中で穴をに向かって叫んだと告白した。
そこで、散髪屋にその場所を案内をさせると、そこは一面の葦の原になっていた。そして、散髪屋が穴に向かって叫んだ当たりから生えている葦たちが、風にそよぐとざわざわと葉鳴りを立てた。
それがまるでこう聞こえたと言う。
「王様の耳はロバの耳!王様の耳はロバの耳!」
・・・
隠していた感情が自分を見つけて貰いたくて自己主張をしているような話である。
知られたくないこと、聞かれたくないこと。
そして、辛くなるので自分でも隠してしまいたいこと。
それを無理に蓋をしても、結局は沸々と湧き上がってきて、いつになっても気持ちを台無しにする。
結局、ネガティヴな感情は隠し切れない。
まるで「王様の耳はロバの耳!」と風が運んでくるようだ。
隠して忘れてしまいたくても、ネガティヴな感情は見つけて貰いたくて自己主張を始める。
だからと言って、気持ちをぶちまけたら人間社会では生きて行けない。しかし、きちんと自分の感情と向き合えば、逆に受け入れやすくなる。
隠さずに受け入れる。
でも、そんな難しいことをするにはどうしたら良いだろう。
それは自分が感じたこと、苦しかったこと、そして正しいことを見つめ、気持ちの棚卸しをすることである。
そのためには、自分の気持ちを文章にすることが良いと思う。文章にして、自分だけでなく、第三者的な目からも、自分の言動や考え方を眺めてみる。
そうすれば、気づかなかった自分の良くないことや、苦に病まなくても良いことが見えてくる。
日記を書く人は精神が安定していると言われるから、それは自分だけの勝手な思い込みではないはずである。