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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

自分を許すとパフォーマンスは上がる

(写真:お山のマック)

なぜ日本人のパフォーマンスは低いのか

日本のホワイトカラーの生産性は、先進国中最低であると言われ始めて久しく経ちます。
当の日本人ホワイトカラーの自分にとっては、非常に耳の痛い話です。
しかし、統計上では日本人は学力も高く、またITを使いこなす能力も高いと言われていながら、その能力の高さがなぜ生産性に生かされないのでしょうか。
加えるに先進国の中では労働時間も長く、勤勉と言われているのに、それで時間に見合う成果を出せていないとすれば、私たちのパフォーマンスが極端に低いことになります。あるいは、時間当たりの仕事の密度が低いことを意味します。
とは言え、自分も含めて、皆んなだらだらと仕事をしているつもりはないでしょう。いろいろと掛け持ちして、あれもこれもと対応しながら毎日忙しい思いをしています。
それが何も生み出していないとすれば、それは私たちのパフォーマンスより、忙しく時間をかけてやっていることの中身の方が問題なのです。

完璧主義の弊害

日本人のパフォーマンスの低さの理由の一つとして、本来やらなくても良いことに時間をかけ過ぎていることが挙げられます。
例えば、報告書一枚作るにしても、一生懸命雛形を探して、さらに体裁を整え、内容に不備がないかチェックしてからプリントアウトしています。
もちろん、それが気を張る相手なら、むしろそうしなければなりませんが、社内でしかも一度しか使われないようなものにまで同じ精度で作成しています。
別に再利用するとか、ずっと保存するとかでなければ、手書きでちゃっちゃとやっつけたって何も支障はありません。
それが、どうしてもちゃんとやらなくては気が済まなくて、あるいは周りもそれを求めるから、時間をかけてでもキッチリやろうとします。
つまり、これが私たちにとって無駄な時間になっているのです。
こんな完璧主義に私たちが囚われている間に、ライバル国はもっと価値のあることに集中しているとしたらかなり深刻です。

自分を許すとパフォーマンスは上がる

ならば、その処方箋はどうしたら良いのでしょう。
それは、上手く手抜きの名人になれば良いのです。手抜きと言うと聞こえは良くありませんが、要はしっかりやるところと、粗くやるところのメリハリをつけることです。
実際、少々手を抜いても構わないことは存在します。
例えば、会議の議事録にしても、誰が何を発言し、どんな反応があったかを克明に記述する必要はないでしょう。
会議以降に影響を及ぼす事項、つまり伝達、決定、課題、タスクさえ明確ならば、議事録の役割は十二分に果たしていると言えます。
例えば、話し合いの中で残すべき事項が発生したら、それをホワイトボードに書き出すと言うのはどうでしょう。
なにしろ、参加者全員が注視する中書くのです。議事ミスや抜け、あるいは伝わり難い表現をしたら、その場ですぐに訂正をして貰えます。
さらに、会議終了後にホワイトボードを写真に撮って参加者全員に配布すれば、今まで会議終了後に必要だった議事録作成の一時間、乃至二時間は省けます。
その分、早く仕事を終えて帰ることができれば、会社も自分もニコニコです。
あとは、それを手抜きとか、サボりとか考えないことです。
なぜなら、議事録として必要な機能は満たしていますから。
そこさえ受け入れたら、私たちのパフォーマンスは上がるのです。

とにかく前に進もう

これからはとにかく少子高齢化の時代。労働力不足の弊害はすでに至る所で現れています。
それは、一定のオペレーションを維持するためにどうしても人手がいる分野で顕著です。
例えば、飲食店や介護の現場、運送業界などが、人が集まらずにサービスのレベルを下げなくてはならない事態に陥っています。
これが、医療や公共(例えば警察とか)に現れ始めたら、国が回りません。
そうすると、少ない人数でどう今までのパフォーマンスを維持するかが喫緊の課題となります。
つまり、私たち一人一人が手抜きの名人になるしかありません。
それに、自分の手抜きを許すとは、毎日時間をかけて行っていることの棚卸しをして、価値あることに集中することでもあるのです。
例えば、あまり好きでないドラマでも、途中まで見てしまったからと惰性で見たりしていませんか?
あまり、付き合っても価値のない集まりに、義理があるからと無理して顔を出してはいませんか?
張り合っても仕方ない相手に意地や我慢だけで、無理して対抗していませんか?
それを勇気を出してやめてしまうだけで、私たちは大切なことに集中できる分、パフォーマンスは上がります。
要は、それをする自分を許すか、許さないかだけです。