今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

自分のルール、人のルール

(写真:落日の鉄塔)

社会的動物

人間は社会的動物と言われます。
つまり集団で仕事を分担し、助け合って生きている生き物です。
他の動物には、餌を取るのも身を守るのも、全部自前と言う生き物がたくさんいます。
そして、つがうのは発情期と子育ての一定の期間のみで、あとは基本一匹で単独行動をします。
もちろん、蟻や蜂、大型動物でもシマウマや象の群れのように集団を基本としている生き物はいます。
しかし、類人猿も含めて、人間ほど高度に社会を形成し、お互いが依存しあっている生き物は他にありません。
よく震災があると、「インフラが分断された」と言います。インフラが分断され、電気もガスも水道も、そして通信も途絶えたら、私たちはとても困ります。時に生命に関わることもあります。
そのインフラとは、社会全体で生み出し、供給し、そして維持しているものです。その一部を分けてもらって私たちは社会生活を継続していけるのです。
このように、私たちは意識しようとしまいと、社会に参加し、また社会に高度に依存しながら生きています。

ルールを持つ生き物

その社会に依存して生きて行くために、私たちは最低限の条件を受け入れなくてはなりません。それは、社会全体で決めたルールを守ることです。
一番原始的なルールは、社会の構成員はお互い殺しあってはならないと言うものでしょう。後は、人の所有物を断りもなく奪ってはならない。嘘を言って人を惑わしてはならない。あるいは、気分に任せて人を傷つけてはならない。
さらに、自分だけで資源を独り占めしてはならない、みんなと分かち合わねばならない、と、社会が複雑になればなるほど、またルールも複雑になります。
どうでしょう。自分の周りを振り返ってみても、交通ルールや、人間関係のルール、あるいはビジネスのルール、社会人としてのマナーと言う名のルール等、その数の多さに感心させらるくらい沢山のルールに縛られて生きています。
それも、ひとえに皆んなが社会生活を快適に、かつ安全に営むために必要だからです。

見過ごされがちな個人のルール

社会のルール、あるいは会社のルール、国家のルール、私たちは毎日こんなルールの海を泳いで生きています、
そして、私たち自身も自分のルールを持っているのです。例えば、電車に乗っている時は、あまり側でベチャベチャ喋られたくないとか、食事中はクチャクチャ音を立てられたくないとか。あるいは、食事中はムスッと黙って食べるより皆んなとワイワイ食べたいと思うのも一種のルールです。
しかし、反対に食事中は一人で静かに食べさせて欲しい、だからあまり話しかけないで欲しいと思う人もいます。
喋りながら食べたい人と、食べているときは話しかけられたくない人と、時にお互いのルールがぶつかり合います。
そして、私たちは社会や会社、あるいは自分のルールには気を配りますが、以外に人のルールには無頓着だったりします。
自分の中で正しいと思うルールを押し通して、我知らず人を傷つけてはいないでしょうか。

ルールを尊重し合う

世の中には、いじり役の人間と、いじられ役の人間がどうしてもできます。
比較的勢いがあったり、立場的に強かったりすると、ついつい我が出て自分が正しいと思うルールを押し付けます。いや、別に悪いことをしているとは思っていません。なぜなら、自分のルールに則って正しいことをしているのですから。
例えば、先輩男子が奥手の後輩をからかって、いろいろエッチなことを言って困らせています。側から見れば、完全にいじり役といじられ役になっています。
そして、いじり役は自分が楽しんでいるのと同様に、いじられ役君も楽しんでくれていると思い込んでいるから始末が悪い。
そう、世の中にはいじられられるのが嬉しくて思わず「御意」なんて言う人種もいますが、大抵いじられるのは迷惑なものです。
言わば、そこにお互いのルールの断絶があり、人間関係の危機があります。
ルールには、社会通念上共有されているものもあれば、個々人で独自に持っているものもあります。
それら個人のルールは、いずれも自分にとっては正しいものですから、正しいルール同士がぶつかり合うことがらあります。
しかし、時には自分のルールを疑って、相手の持っているルールを想像し、互いを尊重しあえれば世の中はもっと住みやすくなるでしょうね。