今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

許す、なぜなら許されているから

(写真:屋根上のゼロ その3)

考え過ぎた方が負け

急に始まる感情の衝突。
つまるところ、互いの「言い分vs言い分」のぶつけ合い。
お互い自分が正しいと思っているから、何時迄経っても収拾がつかない。
しかし、考え過ぎた方がだんだん不利になる。
「あまり言い倒すと、しこりが残って後がたいへんになる」
「『ネズミに救われたライオン』の寓話のように、何処で世話になるか分からない」
「とは言え、自分にも全く非がないわけではない」
・・・とか。
それで、感情的な言葉を出す前に抑える。
必然的に舌鋒が鈍くなるから、相手が「こいつ、大人しいからもっと言ってやれ」とますます調子に乗る。
負けてやるのも大人の対応、だけれど気になるのは、相手がそのまま勘違いしてますます増長しないか。
そうなる前にきちんと正すべきではないか。
言うべきか、言わざるべきか。
かっこいいことを言いながらも、実は腹立ち半分、迷いが半分。
いずれにしろ、言い合いは嫌なものだ。

飲み込む勇気

言い合っても、お互い何も得はしない。
相手への恨みと、嫌な気分が残るだけ。
結果的に、今日の夜ご飯が不味くなる。
だから、あまり感情的にならずにこの場を収めたい。
しかし、相手の罵詈讒謗を聞いていると、やっぱり頭に来ているのが分かる。
腹が立っても顔には出さない。それでも、沸点が近いサインが出ている。
いっそ叩きのめしてやろうか。
自分の知っている最大限の言葉を尽くして、もはや立っていられなくなる位まで言い倒してやろうか。
そして、二度と噛み付く気持ちが起こらなくなるまで、思い知らせてやろう。
しかし、それを口にしたらどうなる?
相手はどんな気持ちになる?
下手すると火に油を注いで、見境がなくなり、抑えが効かなくなるのじゃないか。
ああ、怖い。
そう思うと言葉を飲み込んでしまう。
それは臆病だから?
いや、それはむしろ賢明さと勇気なのかも知れない。

許すわけ

あるいは、湯気を立てている相手をそのままにして、放っておく。
相手はどんな気持ちだろう。
拳を振り上げた以上、打ち返されなければ格好はつかない。
一人で怒ったり喚いたりしていたら、パントマイムをしているようで、周りからはさぞや滑稽に見えるだろう。
だから、取り合わないことは、一番の仕打ちと言えば仕打ち。しかし、結局取り合わなければ早く収束する。
自分や相手方の都合はどうあれ、やはり感情に油を注いだら、結果が恐ろしい。
「いや、そこまで言われて腹が立たない?」
正直、腹がたつ。
恥をかかされた感情は消せはしない。
しかし、彼との人間関係は、自分たち二人だけのものでない。
自分たちが感情的にもつれたら、それで困る人たちがいる。自分の感情だけを優先したら、迷惑が伝播する。
だから、一生懸命気持ちを抑えて、言葉を飲み込む。

許されてきた自分だから

結局、許すのは大人の仕事。
年齢や立場を超えて、今冷静な方が大人の役回り。
子供がグズグズ言うのは、自分で自分の感情が抑えきれないから。
それを大人はうまくくるんで、宥めることができる。
感情を爆発させるのは、一時的に子供になるから。それは、70になっても、80になっても、総理大臣になってもあるだろう話。
そこに持って来て、一緒に怒り始めたら収拾がつかない。
感情の子供と、冷静な大人。
必ずどちらかは、事態を収拾できる立場でなくてはならない。
それに自分だって、感情をどうしようもなく波立たせて自分で抑えられないことがあった。
ただ、幸いにしてその時の相手が冷静だったから、大過なくやり過ごせたし、だから今ここにいられる。
その時、相手も頭に来たろう。
でも、許してくれた。
ならば、自分も許しておこう。
散々許された自分だから、せめて今くらいは。