今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

月曜日が待ち遠しくなる会社(後編)

(写真:トワイライト・タワー)

自分の幸せ

でも、早退しますと言って出てきてしまったんだし、あの雰囲気に戻るのも気が重かった。
だから、今日はもう好きに過ごそうと思った。
社長や、会社に、必要以上に気を使っていた今までの自分からも少し変わるんだ。
そう決めて、さちこさんは地下鉄の入り口に向かった。
地下鉄から私鉄に乗り換え、県境を越えて海の見える駅に降りた。
駅前の喧騒を抜け、閑静な住宅街に足を進める。そして、住宅を抜け、長い坂道を登りきると、目の前には水平線が広がった。
風が潮の匂いを運んでくる気持ちの良い場所だった。
さちこさんは、そこに建っている少し古びた外見の店に近づいていった。
時刻は午後になっていた。
店は今どき珍しいガラス戸で、そこから差し込んだ午後の日差しが優しい陽だまりを作っていた。
ガラガラとガラス戸を開けると、「いらっしゃい」と元気の良い女性の声がした。
女性はカウンターに座って何か作業をしている最中らしかった。
「こんにちは、来ちゃった。」
「あ、お姉ちゃん、どうしたの。仕事のついで?」
女性はさちこさんにお姉ちゃんと声をかけた。さちこさんのすぐ下の妹である。それでも年は5歳離れていた。
今年29になる。
「えへへ、今日は早退け。」
「身体の調子が悪いとか?」
「ううん、たまにはいいかなって思って。」
「へえ、お姉ちゃんにもそんな余裕が生まれたんだ。前は何をおいても、会社、会社だったもんね。」
「そうよ、女の独り身は気楽なものよ。」
そこで、妹の香代は少しすまなそうな顔をした。
「ゴメンね、みんなお姉ちゃんに背負わしちゃって。私が18で家を出てからも、余り助けてあげられなくて申し訳なかったわ。」
「でも、あなたは立派に夢を叶えたんだし、私も鼻が高いのよ。」
香代は18の年、高校卒業と同時に知り合いのアートデザイナーに住み込みで弟子入りしたのだった。そして、いつか海の見える場所に自分の店を持ちたいと夢を見ていた。
それから8年後、水平線が一望できるこの場所に工房と住居を兼ねた店を開いたのだった。
「どう、生活に困っていない?」
「まあ、ぼちぼちよ。夢を食べて生きているようなもんだから、家賃と光熱費でトントンかしら。でも、同居人がかなり助けてくれるから。」
同居人とは香代の彼氏のこと。普通のサラリーマンだけれど、家賃がもったいないからと、自分のアパートを引き払って香代と一緒に暮らしている。
「あなたたち、いつ入籍するの?」
「まあ、焦らないつもりよ。だって、ほとんど事実婚だもん。それよりお姉ちゃんの方はどう?」
「え?全く、サッパリ、ぜ~んぜん。」
「あら、残念。しばらく見ないうちに、ものすごくキレイになったから、いい人でもできたのかと。」
「あはは、ちょっと頑張っちゃったの。」
そして、さちこさんは、妹の香代に正直に今までのいきさつを話した。
「どう、馬鹿みたいでしょ。いい歳して、恥ずかしいわ。」
一度奥に姿を消していた香代は、カウンターに姿を見せると、さちこさんに盆のコーヒーを勧めた。
「はい、どうぞ。最近自家焙煎に凝ってるの。あと、この町にすごく美味しいケーキ屋さんがあるの。これは、今年の一押しだそうよ。」
「え、あなたたちの食べる分でしょ。悪いわ。」
「平気、平気、彼に内緒でこっそり食べるために隠してある分だから。それより、ひどい話ね。」
「まあ、15年も勤めて今更なんだけどさ。」
「別に無理して勤める必要ないでしょ?」
「まあね。でも、いざ飛び出そうとすると、なんか思いきれなくて。ずっとこんな感じ。」
「ダメ、ダメ。お姉ちゃん、かなり洗脳されてるよ。」
「え?」
思わず飛び出した「洗脳」という不穏な言葉。
「そう、昔オンナは、家に縛りつけられて、どんなに辛いことがあってもじっと耐えるしか無かったの。でも、今じゃ、気に入らなけりゃオンナから旦那を捨てるし、オンナの自立もどんどん進んでいるわ。今じゃ女性の社長や女性の市長も当たり前。いないのは、プロ野球選手と相撲取りくらいのもんよ。現に私だって、個人事業主の端くれだし。」
「うん。」
「だから、洗脳なのよ。昔オンナが自分の人生に自由がないと思っていたのと、お姉ちゃんが会社から離れられないと思っているのと。」
さらに、香代は言葉を継いだ。
「自分の人生だから、結局は幸せになったもの勝ちよ。それなのに、意味のないことで我慢してるのって、人生を無駄にしてると思うわ。」
「だけどね・・・。」
さちこさんは目を伏せてしまった。
それに気がついて、香代はあわてて言い方を変えた。
「ゴメンね、お姉ちゃん。違うの。お姉ちゃんが一生懸命我慢してくれなければ、私たち今頃どうなっていたか分からないわ。
そうじゃなくて、お姉ちゃんは、お姉ちゃんが幸せと思う事にもっと素直に生きて欲しいだけなの。」
「うん!有り難う。あなたは、いつもエネルギーが溢れているから、会うと元気が貰えるわ。」
「あとね、お姉ちゃん、ちっとも変じゃないよ。すっごくキレイ。でも、ちょっと急に変えすぎたかな。」
「何それ、褒めてるの?素直に喜んで良いの?」
「あはは、私正直だから。」
「あはは、ひどおい。」

月曜日が待ち遠しくなる会社

でも、香代に励まして貰っても何も変わったわけじゃない。
どうするの?倖子。
でも、一つ言えてることは、今さら会社を辞めさせられても困る私じゃない。
だから、私は私の居場所を自分で作る。もし、無理に作ろうとして壊れてしまっても、それはもともと私とは縁のない場所なの。
そして、
さちこさんは、
やっと自分の運命に立ち向かう意思を固めた。
その戦端は、
五島社長との間で開かれた。
「は?今何と言った?」
たまに口答えをすることがあっても少し強く言えば、すぐに大人しくなるさちこさんだった。
それが、今日は異常に絡んでくる。
「いいか!うすい!」
「うすいではありません、宇津井です。」
「どっちでもいい。いいか、俺は社長で、お前は一事務員だ。世の中には人それぞれ役割があって、俺にはこの会社の穀潰しどもをを食わせる責任がある。とても重くてストレスもかかる仕事だ。
それに比べればお前が少々俺に怒鳴られるくらい、なんだと言うんだ!」
「し・・・社長はたいへんだと思います。でも、好きでやっておられるんでしょ。そ、それに比べて私は社長から怒鳴られたり、人以下の扱いを受けたり、社長の情緒不安定の捌け口にされるのはとても嫌です。」
「じ、情緒不安定だとお!」
「そうですよ。社長が呼ぶべきは、ワタシじゃなくて、精神科医です。」
「なんだと!この恩知らず。」
「お、恩知らずは社長の方よ!散々人に依存しておいて、いつの間にか、それが当たり前になって、依存していることすら忘れてしまったんですか。
言わせて貰えば、社長は、サ・チ・コ中毒です!」
「うううう、おおお、お前!出て行け!!!」
ついに来た、解雇通告。
いいわ、会社都合で解雇されるんだもの、規定に従って給料3ヶ月分貰って辞めてやる。
「わかりました。午後には身辺整理をします。」
すると、五島は今までにない大きな声を出した。
「ダ!誰がクビにすると言った!オ、俺はとにかくこの部屋から出て行けと言ったんだ!それと、もう来るな、顔も見たくない!」
「え?」
一瞬訳が分からなかった。
「だから、とにかくこの部屋からデ・テ・イ・ケ!」
それを聞いたさちこさんは、勝ち誇ったような表情になって、こう続けた。
「社長、そう言わずに、いつでもお呼びください。その代わり、怒鳴られるお手当は今後スポットでお願いしますね。」
それを聞いて五島はますます苦虫を噛み潰した表情になった。
・・・
おかげで、さちこさんはしばらく五島に会わずに済んだ。
そして、五島に逆らったことで、さちこさんには不思議な自信がついていた。
いつものように正木が絡んできた時も、さちこさんは余裕たっぷりで対応をした。
「あのさ、うすいさあ。」
「あの私、うすいでも、お局でもありません。宇津井倖子です。」
「何を偉そうに。お前ら事務は、俺ら営業が養ってやっているんだから、もう少し素直に人の話くらい聞けって言うの。」
「いえ、営業事務も立派な仕事です。そして、私は自分の給料分は稼いでいます。」
正木はやれやれと言う顔をして、分からんヤツだなあと言わんばかりに手の平を上に向けたオーバーなジェスチャーをした。
「あのな、いつお前が会社に金を持ってきたよ。え?いくら稼いだんだよ。」
それに対して、さちこさんは目の前のレターケースから受注表の束を取り出した。
「これ分かります?これ全てこの一ヶ月の私の売上です。」
「なんだよ、これ?何?インクリボン、2本1万3千円?これ、消耗品じゃねえか。
こんな細かいもん、いくら集めたって自慢になるか。」
さちこさんは、さもしてやったりの顔で続けた。
「へえ、なら、全部でこれがいくらあるか分かります?」
「は?」
「チリも積もればで、240万あります。年間にすると、2880万です。ちなみに、正木さんの年間の売り上げは幾らですか?」
「ば、バカ!そんな消耗品みたいな、寝転んでいても勝手に上がる売り上げなんか、数えるな!」
「もちろん、製品販売あっての消耗品ですが、最近は私たちは積極的に他社製品の消耗品にも取り組んでいます。おかげで先月の消耗品販売は製品販売を抜きました。
また、競合他社のお客様と消耗品で繋がっていることで、他社の製品から私たちの製品に変えてくださったところもあります。しかも、これを営業事務だけでやっているんですよ。」
「もう、いい。」
「はい?」
「だから、もう喋るな。お前と口きいていると気分悪い。外行ってくる。」
そうそう、そのまま外回りを頑張ってきて。
・・・
まあ、こんな調子で毎日過ぎてゆく。
別に何が変わったわけではないけど、自分の居場所は自分で作れることが少し分かった。
まだまだ、全部注文通りにはいかないけれど、ちょっとずつ変わっていくのが目に見えるようで楽しい。
それにいざとなっても、なんとかする自信はある。
そして、休みの日にはもっと妹たちと会ったり、少しずつ板についてきたお洒落を楽しんだりしている。
そんなときは、月曜日が待ち遠しいさちこさんであった。

(おわり)

さて、「月曜日が待ち遠しくなる会社」。
結論出ましたかね。
「月曜日が待ち遠しくなる会社」とは、何もかもが完備された完璧な会社かと思って筆を進めましたが、やはりそんな会社はないようです。
でも、周りは変えられないけれど、自分は変えられます。
自分の居場所は自分で作る。
そう気持ちを切り替えた人にはきっと月曜日が待ち遠しいことでしょう。